メインメニューを開く

ロシア連邦人民代議員大会

ロシア連邦人民代議員大会(ロシアれんぽうじんみんだいぎいんたいかい、ロシア語: Съезд народных депутатов Российской Федерации)は、ソビエト連邦末期のゴルバチョフによって、ソ連最高会議に変わって設立された最高国家権力機関のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国版。

ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国人民代議員大会
ロシア連邦人民代議員大会

Съезд народных депутатов РСФСР
Съезд народных депутатов Российской Федерации
 ロシア
(1991年12月25日まではロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 ロシア連邦共和国)
紋章もしくはロゴ
種類
種類
代表者会議
歴史
設立 1990年
廃止 1993年
前身 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国最高会議ロシア語版
後継 ロシア連邦議会
定数 1,068議席 (1-9期会議)
638議席 (10期会議)
選挙
多数代表制 (小選挙区制)
前回選挙
1990年3月4日
議事堂
Grand Kremlin Palace, Moscow.jpg
モスクワ
クレムリン大宮殿(1-9期会議)
White house in Moscow.jpg
モスクワ
ベールイ・ドーム(10期会議)

ソ連崩壊後のロシア連邦でも人民代議員大会の制度は引き継がれたが、1993年モスクワ騒乱事件後の新憲法によって廃止・解消され、現行の二院制ロシア連邦議会が創設された。

ロシア人民代議員大会編集

ソ連人民代議員大会及び最高会議が創設された同じ期間に、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国でも人民代議員大会が創設された。

ロシア人民代議員大会は1990年3月に選挙が実施された。定員1068名で、自由選挙がここでも実施された。エリツィン、サハロフら急進改革派が当選したものの、共産党は86%を占める920名の議席を獲得した。選挙後、エリツィンが最高会議議長に選出される。エリツィンが国民の直接投票で大統領に選出された後は、ルスラン・ハズブラートフが後任の最高会議議長となる。ソ連崩壊後、エリツィンとハズブラートフ、アレクサンドル・ルツコイ副大統領との間の対立が先鋭化した。1993年モスクワ騒乱事件でエリツィンに武力で廃止されるまで存続した。

参考編集

英語版の1917年から1936年にかけてのCongress of Sovietsは、通常、「ソビエト大会」と訳される(「ソビエト」の項を参照)。