ロッキー・リン
ロッキー・リン(Rocky Lin、本名:林 明佳(リン・ミンチャ)、1967年6月20日 - )は、台湾の元プロボクサーである。彰化県出身。
基本情報 | |
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本名 | 林 明佳 |
通称 | 台湾の英雄 |
階級 | ミニマム級 |
国籍 | 台湾 |
誕生日 | 1967年6月20日(57歳) |
出身地 | 台湾・彰化県 |
スタイル | 右ボクサー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 28 |
勝ち | 26 |
KO勝ち | 11 |
敗け | 2 |
台湾出身者初のプロボクサーで初の世界挑戦者でもある[1]。
来歴
編集アマチュアで63戦58勝(30KO・RSC)5敗の成績を残し、1987年、東京・ロッキージムの開行憲会長にスカウトされ来日。リングネーム「ロッキー・リン」を貰う。日本代表としてロス五輪入賞黒岩守とスパーリング。
1988年5月23日、プロデビュー(6回判定勝ち)。
1990年3月9日、7戦目で日本ストロー級(現:ミニマム級)王座獲得。その後、7度の防衛に成功し、世界ランキングもWBC1位に浮上。世界初挑戦が決定した1992年9月、王座返上。
1992年10月11日、後楽園ホールで指名挑戦者としてWBC世界ストロー級王者リカルド・ロペス(メキシコ)に挑戦。2回、王者の強烈な左フックをまともに受け、大の字に失神。そのままKO負けとなり、世界王座奪取ならず。この試合の前に同ジムに入門してきた4回戦選手にスパーリングで打ち込まれるなど、業界では無謀な挑戦と言われていたようだ。
1993年10月2日、1年ぶりの再起戦を初回TKO勝ち。この試合を皮切りに、5連続KO勝ち。
1998年8月23日、6年ぶりの世界再挑戦。横浜アリーナでのトリプル世界戦にてワンディ・チョー・チャレオン(タイ)とWBC世界ミニマム級暫定王座決定戦を争ったが、12回判定負け。またしても世界王座獲得はならなかった。この試合を最後に引退し、母国・台湾へ帰国。
現在は母国で後進の指導に当たっている。
脚注
編集- ^ ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年
関連項目
編集外部リンク
編集前王者 徳島尚 |
第7代日本ミニマム級王者 1990年3月9日 - 1992年9月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 細野雄一 |