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ロバート・ウォルポール (第2代オーフォード伯爵)

第2代オーフォード伯爵ロバート・ウォルポール英語: Robert Walpole, 2nd Earl of Orford KB1701年1751年3月31日)は、グレートブリテン王国の貴族、政治家。1723年から1742年まではウォルポール男爵の爵位を称号として使用し、1742年から1745年まではウォルポール子爵儀礼称号を使用した。

閣下英語版
第2代オーフォード伯爵
KB
RobertWalpole2ndEarlOrfordByJohnTheodoreHeins.jpg
生誕 1701年
死没 1751年3月31日
配偶者 マーガレット・ロール英語版
非婚配偶者 ハンナ・ノーサ英語版
子供 ジョージ・ウォルポール
親戚 ジョージ・タウンゼンド英語版
ウォルポールの紋章[1]

生涯編集

イギリス首相サー・ロバート・ウォルポール(1676年 – 1745年)と1人目の妻キャサリン・ショーター英語版の長男として生まれ、1723年6月1日にウォルポールのウォルポール男爵に叙された[2]

1724年、マーガレット・ロール英語版(1709年 – 1781年、サミュエル・ロール大佐の娘、後にクリントン男爵の爵位を継承)と結婚、1男をもうけた[2]。2人の関係は悪く、やがて別居するようになり、ウォルポールは1736年にはハンナ・ノーサ英語版という愛人ができた(ウォルポールとノーサの愛人関係はウォルポールの死去まで続いた)[3]

  • ジョージ(1730年 – 1791年) - 第3代オーフォード伯爵

1721年4月5日にClerk of the Pells(毎年3,000ポンドの収入が得られる官職)に、1725年7月21日にリッチモンド公園管理人に任命された[4]。同1725年、バス勲章を授与された[5]。1733年にはに任命された[6]。1739年5月9日、Clerk of the Pellsを辞任する代償として国庫監査長官英語版に任命された(毎年7,000ポンドの収入が得られる官職)[4]

1745年に父が死去するとオーフォード伯爵の爵位を継承した[2]。しかし、6年後の1751年3月31日には自身が死去、息子ジョージが爵位を継承した[2]。死去時点では債務を抱えていたという[3]

脚注編集

  1. ^ Debrett's Peerage, 1968, Baron Walpole, p. 1128.
  2. ^ a b c d Burke's Peerage (in English) (99th ed.). 1949. p. 2066.
  3. ^ a b Baldwin, Olive; Wilson, Thelma. "Norsa, Hannah". Oxford Dictionary of National Biography (in English) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/70113. (Subscription or UK public library membership required.)
  4. ^ a b Coxe, William (1816). Memoirs of the Life and Administration of Sirt Robert Walpole (in English). III. p. 320.
  5. ^ The London Gazette: no. 6382. p. 4. 1725年6月19日。
  6. ^ Coxe, William (1816). Memoirs of the Life and Administration of Sirt Robert Walpole (in English). III. p. 119.

参考文献編集

  • Kidd, Charles, Williamson, David (editors). Debrett's Peerage and Baronetage (1990 edition). New York: St Martin's Press, 1990.

外部リンク編集