ローラン=シャルル・マレシャル

ローラン=シャルル・マレシャル(Laurent-Charles Maréchal、1801年1月27日 - 1887年1月17日)は、フランスの画家、ステンドグラス作家である。故郷のフランスの北東部の街、メスで活動した芸術家たち「メス派(École de Metz)」のリーダー的な人物であった。

ローラン=シャルル・マレシャル
Laurent-Charles Maréchal
自画像
誕生日 (1801-01-27) 1801年1月27日
出生地 フランス、メス
死没年 1887年1月17日(1887-01-17)(85歳没)
死没地 フランス、バル=ル=デュック
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略歴

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モゼル県のメスで貧しい両親のもとに生まれた[1] 。馬具職人として育てられたが、芸術への関心が高く、早くからパリに移り、ジャン=バプティスト・ルニョーの弟子となり数年間修行した。1825年にはメスに戻り、翌年モゼル県の博覧会に作品を出展し入賞した。メスで活動し、Auguste Hussenot(1798-1885)やAuguste Migette(1802-1884)といった画家とともに活動し、1945年にシャルル・ボードレールによって「メス派(École de Metz)」として論じられた画家の一人となった。

歴史画や風景画を描いたが、地元ではステンドグラスの仕事の需要が多かったので1838年には義理の兄弟とメスにステンドグラス工房を開いた[2] 。メスの産業の発展とともに工房は商業美術の分野で活発に活動し、弟子のルイ=テオドール・ドヴィリー(Louis-Théodore Devilly: 1818-1886)を工房の責任者にした。1853年にパリにもステンドグラスの工房を開き、フランスで最も重要なステンドグラス作家となり、1855年のパリ万国博覧会の施設のステンドグラスも制作した[3]。この時レジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲している。

パリのサン・ジェルマン・ロクセロワ教会(Église Saint-Germain-l'Auxerrois de Paris)やメス大聖堂(Cathédrale Saint-Étienne de Metz)などの教会や有力者の邸のステンドグラスを制作した[3]

1870年の普仏戦争の後、モゼル県の大部分がドイツに割譲された後、マレシャルは故郷を離れムーズ県バル=ル=デュックに移り、工房を再開した。

1887年にバル=ル=デュックで亡くなった[1]。息子のシャルル=ラファエル・マレシャル(Charles-Raphaël Maréchal: 1825-1888)も父親の仕事を継いだ。

作品

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脚注

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参考文献

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  • Michael Bryan's A Biographical and Critical Dictionary of Recent and Living Painters and Engravers (1866)