ヴィシゴロド公国の位置
・キエフとその分領公国
K:キエフ大公国 / キエフ公国
VI:ヴィシゴロド公国 VE:ベルゴロド公国
O:オーヴルチ公国
・周辺の主な公国
T:トゥーロフ公国  P:ペレヤスラヴリ公国
C:チェルニゴフ公国

ポイントは公国の首都の位置のみを示す。国境線は2014年現在。

ヴィシゴロド公国ロシア語: Вышгородское княжество)は11世紀から13世紀にかけて存在した、キエフ・ルーシ期の公国である。首都はヴィシゴロドに置かれた。

歴史  編集

ヴィシゴロドの年代記上の初出は946年であるが、その際にはキエフ大公の寡婦・オリガの所領として言及されている。ヴィシゴロド公国は完全な独立公国ではなく、慣習的にキエフ大公の後嗣が所持する所領となっていた。また、キエフ大公国で公位をめぐる内乱が発生した際には、キエフ大公が退避する街でもあった[1]。故に年代記上において、その統治者であるヴィシゴロド公に関する記述は、断片的なものが残されているのみである[1]

モンゴルのルーシ侵攻末期の1240年にヴィシゴロドは破壊され、それ以降には、都市・公国ともに年代記上に言及はみられない。ヴィシゴロドが寒村ながらも再興するのは15世紀頃のことである[2][注釈 1]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 現在のヴィシゴロドにはキーウ貯水池(ダム)があり、キーウ大都市圏における新興居住区域となっている[3]

出典 編集

関連項目 編集