ヴィヴィエViviersオック語:Vivièrs)は、フランスオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏アルデシュ県コミューン

Viviers

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏
(département) アルデシュ県
(arrondissement) プリヴァ郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 07346
郵便番号 07220
市長任期 クリスティアン・ラヴィ
2008年-2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Rhône aux Gorges de l'Ardèche
人口動態
人口 3895人
(2011年)
人口密度 114人/km2
住民の呼称 Vivarois[1]
地理
座標 北緯44度29分01秒 東経4度41分23秒 / 北緯44.4836111111度 東経4.68972222222度 / 44.4836111111; 4.68972222222座標: 北緯44度29分01秒 東経4度41分23秒 / 北緯44.4836111111度 東経4.68972222222度 / 44.4836111111; 4.68972222222
標高 平均:m
最低:55 m
最高:400m
面積 34.15km2
Viviersの位置(フランス内)
Viviers
Viviers
公式サイト mairie-viviers.fr
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地理 編集

ヴィヴィエはローヌ川右岸に位置する。コミューン内をローヌ川とエスクテ川が横切る。

歴史 編集

 
ヴィヴィエの街中に残る泉

考古学者イヴ・エスキューの発掘によって、広場の跡やローマ時代のヴィッラの柱の基礎部分が見つかった。

3世紀から5世紀にかけ、蛮族の侵入から逃れるためキリスト教の司教たちがヴィヴィエに避難してきた。多くのカテドラルがその後建設された。司教の住居は5世紀から存在している。9世紀にロタール1世シャルル大胆王によって憲章が追認され、町は強力な司教のまちとなっていった。ヴィヴィエは最初プロヴァンス王国に併合され、1032年にブルグント王ロドルフ3世が死ぬと神聖ローマ帝国の一部となり、1308年まで治められた。

ヴィヴィエ司教はリヨン大司教とともにヴィヴァレ地方の真の主人であり、14世紀にフィリップ端麗王によってリヨンが併合されるまで、ヴィヴァレの独立性を求めて争っていた。

ヴィヴィエを含むヴィヴァレ南部は、15世紀にフランス王と司教の宗主権を認めていた。司教はヴィヴィエ伯、ドンゼールおよびシャトーヌフ・デュ・ローヌ公の称号を持っていた。

人口統計 編集

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2011年
3442 3389 3194 3282 3407 3413 3841 3895

参照元:1999年までEHESS[2]、2004年以降INSEE[3][4]

史跡 編集

かつて司教座の町であったため、貴重な邸宅や興味深い宗教建築が残る。

ゆかりの人物 編集

脚注 編集