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一柳 末昆(ひとつやなぎ すえひで、元禄12年(1699年) - 元文2年8月12日1737年9月6日))は、播磨小野藩の第4代藩主。

第2代藩主・直次の次男で第3代藩主・末礼の弟かつ養嗣子であった直昌の長男。母は清閑寺熙定の娘。正室は一柳直長の娘。子に一柳末栄(長男)、娘(朽木紀綱正室のち山口弘長継室)。官位は従五位下。対馬守。土佐守。

江戸にて生まれる。通称は民部。父の直昌は先代藩主・末礼の養嗣子であったが、末礼より先に早世したため、正徳元年(1711年)6月6日に直昌の長男である末昆が末礼の嫡孫となった。正徳2年(1712年)4月5日、祖父末礼の死去により跡を継いだ。同年4月15日、将軍徳川家宣にお目見えした。正徳3年3月7日、従五位下対馬守に叙任する。享保3年(1718年)4月15日、初入国の許可を得る。駿府加番となる。

元文2年(1737年)8月12日に39歳で死去し、跡を長男・末栄が継いだ。墓所は東京都渋谷区広尾の祥雲寺。