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一色義清 (左京大夫)

戦国時代前期の人物

一色 義清(いっしき よしきよ)は、戦国時代武将守護大名

 
一色義清
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 通称:一色五郎
官位 左京大夫
幕府 室町幕府丹後守護
主君 足利義稙
氏族 丹後一色氏
父母 父:一色義有?、一色義遠?
兄弟 義清(義有が父の場合)義幸?[1]山名祐豊正室
(義遠が父の場合)義有、義信土岐成頼?[2]
深芳野?

永正6年(1509年)、丹後国守護に補任されたが、一色義有との続柄ははっきりせず、子や弟、あるいは従兄弟ともいわれる。義清が守護となった頃の丹後は若狭武田氏の介入や守護代延永氏下克上などで国内は混乱していた。永正13年(1516年)から翌年にかけて同族と思われる一色九郎と争う。義清は加悦城主石川直経と、一色九郎は守護代延永春信と結び戦いを繰り広げたが、加悦城を攻め落とされ一時没落したこともあったらしい(『東寺過去帳』)。

義清の動静は永正16年(1519年)まで判明している。義清以後の一色義貫流の血脈は断絶する。

また、土岐頼芸、次いで斎藤道三の側室となった深芳野の父ともいうが詳細は不明。なお、深芳野の生んだ斎藤義龍は一色左京大夫と称し、一色氏を名乗っている。

脚註編集

  1. ^ 一色教親の子で義有の養子とする説もある)
  2. ^ 『土岐累代記』では、土岐氏支族の饗庭元明の子、『土岐系図』では、佐良木光俊持益の従弟)の子とする。