三宅 康寧(みやけ やすなが、1857年6月2日安政4年5月11日[1])- 1918年大正7年)11月17日[1])は、明治時代から大正時代の華族田原藩三宅康保の子。

三宅康寧

経歴 編集

1883年(明治16年)家督相続し、翌1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[2]田原城本丸跡に建つ巴江神社祠官、津島神社社司を務めた。大正7年に没し、家督は養子で鳥居忠文の次男の三宅忠強が継いだ[3]

脚注 編集

  1. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』下巻、702-703頁。
  2. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  3. ^ 忠強はのち、実父母と同乗していた車で踏切事故に遭い三人共に死亡している。

参考文献 編集

関連項目 編集

日本の爵位
先代
叙爵
子爵
田原三宅家初代
1884年 - 1918年
次代
三宅忠強