子爵(ししゃく、: Viscount [ˈvaɪkaʊnt])は、中国や近代日本で用いられた爵位(五爵)の第4位。伯爵の下位、男爵の上位に相当する[3]ヨーロッパ諸国の貴族の爵位の日本語訳・中国語訳にも使われる。

欧州との対応編集

中国の子爵編集

西周時代に設置された爵について、『礼記』には「王者之制緑爵。公侯伯子男凡五等」とあり、「子」は五つある爵の下から二番目に位置づけている[4]。一方で『孟子』万章下には「天子之卿、受地視侯、大夫受地視伯、元士受地視子男。」とあり、天子を爵の第一とし、子男をひとまとめにしている[5]。『礼記』・『孟子』とともに男、もしくは子男は五十里四方の領地をもつものと定義している[5]。また『春秋公羊伝』には「天子は三公を公と称し、王者之後は公と称し、其の余大国は侯と称し、小国は伯・子・男を称す」という三等爵制が記述されている[6]。金文史料が検討されるようになって傅期年郭沫若楊樹達といった研究者は五等爵制度は当時存在せず、後世によって創出されたものと見るようになった[7]王世民が金文史料を検討した際には公侯伯には一定の規則が存在したが、子男については実態ははっきりしないと述べている[8]貝塚茂樹は『春秋左氏伝』を検討し、五等爵は春秋時代末期には存在していたとしたが、体系化された制度としての五等爵制度が確立していたとは言えないと見ている[9]

代においては二十等爵制が敷かれ、「子」の爵位は存在しなかった。咸熙元年(264年)、爵制が改革され、子の爵位が復活した。「公侯伯子男」の爵位は列侯亭侯の上位に置かれ、諸侯王の下の地位となる[10]食邑は大国なら八百戸、五十里四方の土地、次国なら六百戸、四十五里四方の土地が与えられることとなっている[10]。その後西晋および東晋でも爵位は存続している[11]

南北朝時代においても晋の制度に近い叙爵が行われている。においては国王・郡王・国公・県公・侯・伯・子・男の爵が置かれ、においては王・開国国公・開国郡公・開国県公・開国侯・開国伯・開国子・開国男の爵位が置かれた[12]

主要な中国の子爵編集

咸熙元年の叙爵では、陳羣高柔荀彧といった魏時代の功臣の子孫が「子」の爵を受けている[13]。また羊祜もこの際に子の爵位(鋸平子)を受けている[13]

日本の子爵編集

華族の子爵編集

1869年(明治2年)6月17日の行政官達543号において公家と武家の大名家を統合した華族身分が誕生した[14]。華族身分設置当初から華族内の序列付けをしようという意見があり、様々な華族等級案が提起されたが、最終的には法制局大書記官の尾崎三良と同少書記官の桜井能監1878年(明治11年)に提案した上記の古代中国の官制に由来する公侯伯子男からなる五爵制が採用された。中国の古典籍になじんでいる者が多かった当時の人々に違和感がないものだったと考えられる[15]

1884年(明治17年)5月頃に五爵制に基づく叙爵内規が定められ、従来の華族(旧華族)に加えて「国家に偉功ある者」「国家に勲功ある者」「親王諸王」も叙爵対象に加わり[16]、同年7月7日に発せられた華族令[17][注 2](明治17年宮内省達、明治40年皇室令第2号)と華族授爵ノ詔勅[18]により、五爵制に基づく華族制度の運用が開始された。なおこの際に旧華族にあった終身華族(一代限りの華族)の制度は廃止され、華族はすべて世襲制となった[19]

子爵は公爵侯爵伯爵に次ぐ第4位(従三位[20])に位置づけられた。男爵の上位である。

明治憲法制定により貴族院が設置されると、その議員の種別として華族議員が設置された(ほかに皇族議員勅任議員がある)[21]。公侯爵の爵位保有者は30歳以上になると全員が終身の貴族院議員に列したのに対し、伯子男爵の爵位保有者は同爵位者の間での連記・記名投票選挙によって当選した者のみが任期7年の貴族院議員となった。子爵議員は全子爵の五分の一程度にあたる66人が選出された。伯子男爵議員の選挙の選挙権は成年、被選挙権は30歳以上に与えられる[22]。公侯爵議員は無給だったため、貴族院への出席を重んじない者が多かったが、伯爵以下の貴族院議員たちは有給だったため、議席を求める者が多かった[23]。貴族院内には爵位ごとに会派が形成されており、子爵たちは「研究会」という会派を形成した。「研究会」には勅選議員も多数参加し、院内における最大会派となり、1920年代に大きな力を持った[23]

子爵家の数は1884年時点では324家(華族家の総数509家)、1902年時点では362家(同789家)、1920年時点では381家(同947家)と漸次増えていったが、これをピークとして、1947年時点では351家(同889家)に減っていた[24]

1947年(昭和22年)5月3日に施行された日本国憲法第14条法の下の平等)において「華族その他の貴族の制度は、これを認めない。」と定められたことにより子爵位を含めた華族制度は廃止された。

旧公家の子爵家編集

叙爵内規では「一新前家ヲ興シタル旧堂上」を公家からの子爵位の対象者に定めていた[25]。具体的には「大納言まで宣任の例多き」(中納言任官直後に大納言に進んだ例のある)堂上家には伯爵位を与えられ、それ以外のすべての堂上家に子爵位が与えられた。以下が堂上家から子爵に列せられた家である[26]

阿野家(羽林家)、綾小路家(羽林家)、池尻家(名家)、石山家(羽林家)、五辻家(羽林家)、今城家(羽林家)、入江家(羽林家)、石井家(半家)、石野家(羽林家)、植松家(羽林家)、梅小路家(名家)、梅園家(羽林家)、梅溪家(羽林家)、裏辻家(羽林家)、裏松家(名家)、大宮家(羽林家)、大原家(羽林家・後に伯爵)、岡崎家(名家)、小倉家(羽林家)、押小路家(羽林家)、愛宕家(羽林家)、風早家(羽林家)、交野家(名家)、勘解由小路家(名家)、唐橋家(半家)、河鰭家(羽林家)、北小路家(名家・藤原氏北家)、北小路家(半家・大江氏)、清岡家(半家)、櫛笥家(羽林家)、久世家(羽林家)、倉橋家(半家・1919年に女戸主となり継承者欠く)、桑原家(半家)、五条家(半家)、桜井家(羽林家)、沢家(半家・後に伯爵)、慈光寺家(半家)、七条家(羽林家)、芝山家(名家)、持明院家(羽林家)、白川家(半家)、園池家(羽林家)、高丘家(羽林家)、高倉家(半家)、高辻家(半家)、高野家(羽林家)、高松家(羽林家)、竹内家(半家)、竹屋家(名家)、千種家(羽林家)、土御門家(半家)、堤家(名家)、富小路家(半家)、外山家(名家)、豊岡家(名家)、中園家(羽林家)、長谷家(名家)、難波家(羽林家)、西大路家(羽林家)、錦織家(半家)、錦小路家(半家)、西洞院家(半家)、西四辻家(羽林家)、野宮家(羽林家)、萩原家(半家)、八条家(羽林家)、花園家(羽林家)、東園家(羽林家)、東坊城家(半家)、樋口家(半家)、日野西家(名家)、平松家(名家)、藤井家(半家)、藤谷家(羽林家)、藤波家(半家)、伏原家(半家)、舟橋家(半家)、穂波家(名家・1905年爵位返上)、堀河家(半家)、町尻家(羽林家)水無瀬家(羽林家)、三室戸家(名家)、武者小路家(羽林家)、藪家(羽林家)、山井家(羽林家)、山本家(羽林家)、吉田家(半家)、冷泉家(羽林家)、六条家(羽林家)、六角家(羽林家)

旧大名の子爵家編集

叙爵内規では「旧小藩知事即チ現米5万石未満及ヒ一新前旧諸侯タリシ家」を旧大名からの子爵位の対象者と定めていた[25]。以下の家が大名から子爵に列せられた家である[26]

摂津麻田藩青木家、丹波篠山藩青山家、美濃郡上藩青山家、陸奥三春藩秋田家、日向高鍋藩秋月家、上野館林藩秋元家、下野喜連川藩足利家、陸奥棚倉藩阿部家、上総佐貫藩阿部家、下野吹上藩有馬家、越前丸岡藩有馬家、陸奥磐城平藩安藤家、武蔵岡部藩安部家、越後与板藩井伊家、備中岡山新田(生坂)藩池田家、備中岡山新田(鴨方)藩池田家、因幡鳥取新田西舘藩池田家、因幡鳥取新田東館藩池田家、伊勢亀山藩石川家、常陸下館藩石川家、備中松山藩板倉家、上野安中藩板倉家、陸奥福島藩板倉家、備中庭瀬藩板倉家、近江西大路藩市橋家、日向飫肥藩伊東家、備中岡田藩伊東家、志摩鳥羽藩稲垣家、近江山上藩稲垣家、豊後臼杵藩稲葉家、山城淀藩稲葉家、安房館山藩稲葉家、遠江浜松藩井上家、常陸下妻藩井上家、下総高岡藩井上家、出羽亀田藩岩城家、出羽米沢新田藩上杉家、大和高取藩植村家、下総小見川藩内田家、三河西大平藩大岡家、武蔵岩槻藩大岡家、相模小田原藩大久保家、相模荻野山中藩大久保家、下野烏山藩大久保家、上総大多喜藩大河内家、三河吉田藩大河内家、上野高崎藩大河内家、下野黒羽藩大関家、遠江掛川藩太田家、下野大田原藩大田原家、肥前大村藩大村家(後伯爵)、播磨安志藩小笠原家、豊前小倉新田藩小笠原家、肥前唐津藩小笠原家、越前勝山藩小笠原家、和泉岸和田藩岡部家、豊後府内藩大給家、信濃田野口藩大給家(後伯爵)、越後村松藩奥田家、信濃須坂藩奥田家、越後椎谷藩奥田家、出羽天童藩織田家、丹波柏原藩織田家、大和芝村藩織田家、大和柳本藩織田家、大和小泉藩片桐家、近江水口藩加藤家、伊予大洲藩加藤家、伊予新谷藩加藤家、上総一宮藩加納家、石見津和野藩亀井家(後伯爵)、周防岩国藩吉川家(男爵から陞爵)、備中足守藩木下家、豊後日出藩木下家、讃岐丸亀藩京極家、讃岐多度津藩京極家、但馬豊岡藩京極家、丹後峰山藩京極家、摂津三田藩九鬼家、丹波綾部藩九鬼家、下総関宿藩久世家、丹波福知山藩朽木家、豊後森藩久留島家、筑前秋月藩黒田家、上総久留里藩黒田家、丹波園部藩小出家、肥前福江藩五島家、出羽松山藩酒井家、上野伊勢崎藩酒井家、安房勝山藩酒井家、越前敦賀藩酒井家、越後高田藩榊原家、肥後人吉藩相良家、摂津尼崎藩桜井家、出羽久保田新田藩佐竹家、信濃松代藩真田家(後伯爵)、日向佐土原藩島津家(後伯爵)、常陸麻生藩新庄家、信濃高島藩諏訪家、備中新見藩関家、但馬出石藩仙石家、陸奥中村藩相馬家、河内丹南藩高木家、駿河小島藩滝脇家、播磨林田藩建部家、陸奥三池藩立花家、伊予吉田藩伊達家、丹波山家藩谷家、遠江相良藩田沼家、陸奥一関藩田村家、陸奥黒石藩津軽家、常陸土浦藩土屋家、下総古河藩土井家、三河刈谷藩土井家、越前大野藩土井家、近江三上藩東家、伊勢久居藩藤堂家、美濃苗木藩遠山家、上野沼田藩土岐家、出羽新庄藩戸沢家、信濃松本藩戸田家、下野宇都宮藩戸田家、下野足利藩戸田家、下野高徳藩戸田家、三河大垣新田藩戸田家、下野壬生藩鳥居家、越後村上藩内藤家、信濃高遠藩内藤家、信濃岩村田藩内藤家、日向延岡藩内藤家、三河挙母藩内藤家、陸奥湯長谷藩内藤家、大和櫛羅藩永井家、摂津高槻藩永井家、美濃加納藩永井家、尾張犬山藩成瀬家(男爵から陞爵)、肥前蓮池藩鍋島家、肥前小城藩鍋島家、肥前鹿島藩鍋島家、陸奥八戸藩南部家、陸奥七戸藩南部家、遠江横須賀藩西尾家、陸奥二本松藩丹羽家、播磨三草藩丹羽家、下総多胡藩久松家、伊予今治藩久松家、伊勢菰野藩土方家、播磨小野藩一柳家、伊予小松藩一柳家、河内狭山藩北条家、上総飯野藩保科家、肥後宇土藩細川家、肥後肥後新田藩細川家、常陸谷田部藩細川家、近江宮川藩堀田家、下野佐野藩堀田家、信濃飯田藩堀家、美濃高富藩本庄家、丹後宮津藩本庄家、三河岡崎藩本多家、陸奥泉藩本多家、播磨山崎藩本多家、近江膳所藩本多家、三河西端藩本多家、伊勢神戸藩本多家、駿河田中藩本多家、信濃飯山藩本多家、備中浅尾藩蒔田家、加賀大聖寺藩前田家、上野七日市藩前田家、越後長岡藩牧野家、越後三根山藩牧野家、常陸笠間藩牧野家、丹後田辺藩牧野家、信濃小諸藩牧野家、伊勢長島藩増山家、武蔵川越藩松井家、丹波亀山藩松平家、肥前島原藩松平家、豊後杵築藩松平家、出羽上山藩松平家、信濃上田藩松平家、三河西尾藩松平家、美濃岩村藩松平家、伊勢桑名藩松平家、美作津山藩松平家、越後糸魚川藩松平家、出雲広瀬藩松平家、出雲母里藩松平家、播磨明石藩松平家、陸奥会津藩松平家、美作鶴田藩松平家、美濃高須藩松平家、伊予西条藩松平家、陸奥守山藩松平家、常陸府中藩松平家、常陸宍戸藩松平家、武蔵忍藩松平家、上野小幡藩松平家、蝦夷福山藩松前家、肥前平戸新田藩松浦家、越前鯖江藩間部家、美作勝山藩三浦家、下総結城藩水野家、駿河沼津藩水野家、上総鶴牧藩水野家、出羽山形藩水野家、三河田原藩三宅家、長門長府藩毛利家、長門清末藩毛利家、周防徳山藩毛利家、豊後佐伯藩毛利家、播磨赤穂藩森家、播磨三日月藩森家、下総生実藩森川家、大和柳生藩柳生家、越後黒川藩柳沢家、越後三日市藩柳沢家、土佐高知新田藩山内家、常陸牛久藩山口家、上野吉井藩吉井家、出羽長瀞藩米津家、武蔵六浦藩米倉家、出羽本荘藩六郷家、播磨龍野藩脇坂家、近江大溝藩分部家、和泉伯太藩渡辺家

通常大名は表高1万石以上の知行地を持つ者を指すが、下野国喜連川藩足利家は表高5000石だったのにもかかわらず、江戸時代には大名扱いだったため子爵となっている。御三家付家老周防国岩国藩吉川家陪臣扱いだったため、当初は男爵だったが、吉川家と成瀬家については1891年(明治24年)に子爵に陞爵している。戊辰戦争によって江戸時代に比べ大幅に減知された大名家も含まれる(例:陸奥斗南藩3万石の松平家は、陸奥会津藩23万石からの減知転封)。また幕末に大名家だった家のうち、上総請西藩林家は戊辰戦争後に1万石から300石に減知となって大名の地位を失っていたため当初は叙爵がなく、1893年(明治26年)になってから特旨により男爵を受けている[27]。また、安芸広島新田藩浅野家は華族となることを辞退し、安房船形藩平岡家は華族制度創設前に廃藩したため叙爵されなかった。

勲功による子爵家編集

叙爵内規で他の爵位と同様に「国家二勲功アル者」が受爵対象に定められていた[25]

高位華族の分家の子爵家編集

明治以降に分家した華族は「一新後華族に列せられたる者」という叙爵内規によって男爵を授爵されるのが基本であったが、本家が高い爵位を持っている場合には特例[28]としてこの限りではなかった。子爵を与えられた分家華族としては、近衛秀麿家(公爵近衛家分家)、徳川武定家(侯爵水戸徳川家分家(松戸徳川家))、松平慶民(侯爵福井松平家分家)の 3家がある。また、長岡護美家(侯爵細川家分家(長岡家))、山内豊尹家(侯爵山内家分家)の2家も陞爵して子爵が与えられている。

主な日本の子爵編集

朝鮮貴族の子爵編集

日韓併合後の1910年(明治43年)の朝鮮貴族令(皇室令第14号)により華族に準じた朝鮮貴族の制度が設けられた。朝鮮貴族にも公侯伯子男の五爵が存在した(ただし朝鮮貴族の公爵に叙された者は現れず、朝鮮貴族の最上位爵位は侯爵だった)。朝鮮貴族の爵位は華族における同爵位と対等の立場にあるが、貴族院議員になる特権がない点が華族と異なった[29][30]

朝鮮貴族の爵位は家柄に対してではなく日韓併合における勲功などに対して与えられたものだったが[29]、朝鮮王朝の最上位貴族階級だった両班出身者で占められていた[31]

朝鮮貴族の爵位に叙された者は全部で76名であり、うち子爵に叙されたのは李完鎔李埼鎔朴斉純高永喜趙重応閔丙奭李容稙金允植権重顕李夏栄李根沢宋秉畯任善準李載崐尹徳栄趙民煕李秉武李根命閔泳韶閔泳徽金声根の22名である[30]。現代韓国で「親日売国奴」の代名詞となっている「乙巳五賊」のうち4人、「丁未七賊」のうち6人が子爵に叙されている[30]。中でも宋秉畯は最大の親日反民族主義者として併合後も日本とのパイプ役を務め続け、その功績で伯爵に陞爵。野田姓に創氏改名し「野田伯」と称された[32](朝鮮貴族で創始改名する者は稀だった[33])。一方、李容稙と金允植は併合後、反日民族主義者となり、1919年三・一独立運動で韓国独立を請願したために爵位剥奪処分となった。彼らや受爵を拒絶したり返却した者らはたとえ日韓併合時に「親日売国」行為があったとしても現代韓国で高く評価される傾向がある[34]

1944年時点で朝鮮貴族の子爵家の数は当初の22家から17家に減っていた(当時の朝鮮貴族家の総数は59家だった)[35]

イギリスの子爵編集

 
英国子爵の紋章上の冠。

イングランドに確固たる貴族制度を最初に築いた王は征服王ウィリアム1世在位:1066年-1087年)である。彼はもともとフランスのノルマンディー公であったが、エドワード懺悔王在位:1042年-1066年)の崩御後、イングランド王位継承権を主張して1066年にイングランドを征服し、イングランド王位に就いた(ノルマン・コンクエスト)。重用した臣下もフランスから連れて来たノルマン人だったため、大陸にあった貴族の爵位制度がイングランドにも持ち込まれた[36]

子爵(Viscount)は爵位の中でも最後に生まれたものであり、1440年第6代ボーモント男爵ジョン・ボーモントボーモント子爵Viscount Beaumont)位が与えられたのが最初である[37]

侯爵から男爵までの貴族は「卿(Lord)」と尊称される(公爵は「閣下(Your Grace)」)[38]。子爵の息子及び娘にはHonorable(オナラブル)が敬称として付けられる。

英国貴族の爵位は終身であり、原則として生前に爵位を譲ることはできない。爵位保有者が死亡した時にその爵位に定められた継承方法に従って爵位継承が行われ、爵位保有者が自分で継承者を決めることはできない。かつては爵位継承を拒否することもできなかったが、1963年貴族法制定以降は爵位継承から1年以内(未成年の貴族は成人後1年以内)であれば自分一代に限り爵位を放棄して平民になることが可能となった[39]

有爵者は貴族院議員になりえる。かつては原則として全世襲貴族が貴族院議員になったが(ただし女性世襲貴族は1963年貴族法制定まで貴族院議員にならなかった。また1963年までスコットランド貴族アイルランド貴族貴族代表議員に選ばれた者以外議席を有さなかった。アイルランド貴族の貴族代表議員制度は1922年のアイルランド独立の際に終わり、スコットランド貴族は1963年貴族法によって全員が貴族院議員に列した)、1999年以降は世襲貴族枠の貴族院議員数は92議席に限定されている。貴族院の活動において爵位の等級に重要性はない[40]

現存する子爵家編集

イングランド貴族編集

  1. ヘレフォード子爵 (1550年) デヴァルー家英語版[要リンク修正]

スコットランド貴族編集

  1. フォークランド子爵 (1620年) ケーリー家
  2. アーバスノット子爵 (1641年) アーバスノット家
  3. オックスフィード子爵英語版 (1651年) マクギル家

グレートブリテン貴族編集

  1. ボリングブルック子爵 (1712年)/シンジョン子爵 (1716年) シンジョン家
  2. コバム子爵 (1718年) リトルトン家
  3. ファルマス子爵 (1720年) ボスコーエン家
  4. トリントン子爵 (1721年) ビング家
  5. フッド子爵 (1796年) フッド家

アイルランド貴族編集

  1. ゴーマンストン子爵英語版 (1478年) プレストン家
  2. マウントガーレット子爵英語版 (1550年) バトラー家英語版
  3. ヴァレンティア子爵 (1622年) アンズリー家
  4. ディロン子爵英語版 (1622年) ディロン家
  5. マセリーン子爵英語版 (1660年)/フェラード子爵英語版 (1797年) スケフィントン家
  6. シャールモント子爵英語版 (1665年) コールフィールド家
  7. ダウン子爵英語版 (1680年) ドーネイ家
  8. モールスワース子爵英語版 (1716年) モールスワース家
  9. チェットウィンド子爵英語版 (1717年) チェットウィンド家
  10. ミドルトン子爵 (1717年) ブロデリク家
  11. ボイン子爵 (1717年) ハミルトン=ラッセル家英語版
  12. ゲージ子爵英語版 (1720年) ゲージ家
  13. ゴールウェイ子爵 (1727年) モンクトン=アランデル家
  14. ポーズコート子爵 (1744年) ウィンフィールド家
  15. アシュブロック子爵英語版 (1751年) フラワー家
  16. サウスウェル子爵英語版 (1776年) サウスウェル家
  17. ド・ベスチ子爵英語版 (1776年) ヴィージー家
  18. リフォード子爵英語版 (1781年) ヒューイット家
  19. バンガー子爵英語版 (1781年) ウォード家
  20. ドナレイル子爵英語版 (1785年) セント・レジャー家英語版
  21. ハーバートン子爵英語版 (1791年) ポメロイ家英語版
  22. ハワーデン子爵 (1793年) モード家
  23. マンク子爵 (1801年1月) マンク家
  24. ゴート子爵 (1816年) ヴェレカー家

連合王国貴族編集

  1. セント・ヴィンセント子爵英語版 (1801) ジャービス家
  2. メルヴィル子爵 (1802) ダンダス家
  3. シドマス子爵 (1805年) アディントン家
  4. エクスマス子爵 (1816) ペルー家
  5. コンバーミア子爵英語版 (1827) ステイプルトン=コットン家
  6. ヒル子爵英語版 (1842) クレッグ=ヒル家
  7. ハーディング子爵 (1846) ハーディング家
  8. ゴフ子爵 (1849年) ゴフ家
  9. ブリッドポート子爵 (1868) ネルソン・フッド家
  10. ポートマン子爵 (1873) ポートマン家
  11. ハムデン子爵英語版 (1884) ブランド家
  12. ハンブルデン子爵英語版 (1891) スミス家
  13. ナッツフォード子爵英語版 (1895) ホランド=ヒバート家
  14. イーシャー子爵 (1897) ブレット家
  15. ゴッシェン子爵 (1900年) ゴッシェン家
  16. リドレー子爵 (1900) リドレー家
  17. クーロスのコルヴィル子爵 (1902) コルヴィル家
  18. セルビー子爵英語版 (1905) ガリー家
  19. ノールズ子爵 (1911) ノールズ家英語版
  20. アレンデール子爵英語版 (1911) ボーモント家英語版
  21. チルストン子爵英語版 (1911)エイカーズ=ダグラス家
  22. スカーズデール子爵 (1911) カーゾン家
  23. マージー子爵 (1916) ビンガム家
  24. カウドレー子爵 (1917) ピアソン家
  25. デヴォンポート子爵 (1917) キアリー家
  26. アスター子爵 (1917) アスター家
  27. ウィンボーン子爵英語版 (1918) ゲスト家英語版
  28. セント・デイヴィッズ子爵 (1918) フィリップス家
  29. ロザミア子爵 (1919) ハームズワース家
  30. アレンビー子爵 (1919) アレンビー家
  31. チェルムスファド子爵 (1921) セシジャー家
  32. ロング子爵英語版 (1921) ロング家
  33. アルスウォーター子爵 (1921) ラウザー家英語版
  34. レッキーのヤンガー子爵 (1923) ヤンガー家
  35. ベアーステッド子爵英語版 (1925) サミュエル家
  36. クレイガヴォン子爵英語版 (1927) クレイグ家
  37. ブリッジマン子爵 (1929) ブリッジマン家
  38. ヘイルシャム子爵 (1929) ホッグ家
  39. ブレントフォード子爵英語版 (1929) ジョインソン=ヒックス家
  40. バックマスター子爵英語版 (1932) バックマスター家
  41. ブレディスロー子爵 (1935) バサースト家
  42. ハンワース子爵 (1936) ポロック家英語版
  43. トレンチャード子爵 (1936) トレンチャード家
  44. サミュエル子爵 (1937) サミュエル家
  45. ドックスフォードのランシマン子爵英語版 (1937) ランシマン家
  46. デイヴィッドソン子爵英語版 (1937) デイヴィッドソン家
  47. ヴィアー子爵英語版 (1938) ヴィアー家
  48. カルデコート子爵英語版 (1939) インスキップ家
  49. サイモン子爵 (1940) サイモン家
  50. キャムローズ子爵 (1941) ベリー家
  51. スタンズゲート子爵 (1942) ベン家
  52. マーゲッソン子爵 (1942) マーゲッソン家
  53. ダヴェントリー子爵 (1943) フィッツロイ家
  54. アディソン子爵 (1945) アディソン家
  55. ケムズリー子爵 (1945) ベリー家
  56. マーチウッド子爵英語版 (1945) ペニー家
  57. アラメインのモントゴメリー子爵 (1946) モントゴメリー家
  58. ウェイヴァーリー子爵 (1952) アンダーソン家英語版
  59. サーソー子爵 (1952) シンクレアー家英語版
  60. ブルックバラ子爵 (1952) ブルック家
  61. ノリッジ子爵英語版 (1952) クーパー家
  62. レザーズ子爵英語版 (1954) レザーズ家
  63. ソウルベリー子爵 (1954) ラムザバザム家
  64. シャンドス子爵 (1954) リトルトン家
  65. マルバーン子爵英語版 (1955) ハギンズ家
  66. ド・リール子爵 (1956) シドニー家
  67. ブレンチリーのモンクトン子爵英語版 (1957) モンクトン家
  68. テンビー子爵 (1957) ロイド・ジョージ家
  69. ハリファックスのマッキントッシュ子爵英語版 (1957) マッキントッシュ家
  70. ダンロッシル子爵 (1959) モリソン家
  71. フィンドホーンのステュアート子爵英語版 (1959) ステュアート家
  72. ロッチデール子爵英語版 (1960) ケンプ家
  73. スリム子爵 (1960) スリム家
  74. ヘッド子爵英語版 (1960) ヘッド家
  75. マートンのボイド子爵英語版 (1960) レノックス=ボイド家
  76. ミルズ子爵英語版 (1962) ミルズ家
  77. ブレイクナム子爵 (1963) ヘア家
  78. エクルズ子爵 (1964)エクルズ家
  79. ディルホーン子爵 (1964) マニンガム=ブラー家

伯爵以上の貴族が従属爵位として持つ子爵位編集

廃絶した子爵位編集

脚注編集

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編集

  1. ^ 聖職者である教会や修道院、司教区が踏みこめない世俗的な行為(軍事行動ほか)を任されたり、それらの機関に用地を貸したりした領主。ウィクショナリー(フランス語)参照。
  2. ^ 『華族令要覧』によると、主な内容は次のとおり(表記は常用漢字)。
    *「第一 総規 §公卿諸侯ノ称ヲ廃シ改テ華族ト称ス/21p」「同 §華族令/21p」「同 §戸主ニ非サル者爵ヲ授ケラレタル場合ニ関スル法律/42p」
    *「第二 授爵叙位 §授爵の詔勅/44p」「同 §授爵ノ順序/44p」「同 §叙位条例/44p」。
    以下、「第三 華族戒飭(かいちょく)令 (0029.jp2-)」「第四 華族世襲財産法/(0031.jp2)-」「第五 華族就学規則/(0054.jp2-)」、「第六 宗秩寮審議会並學習院評議会官規/(0063.jp2-)」。

出典編集

  1. ^ 新村出 2011, p. 1124.
  2. ^ 松村明 2006, p. 1093.
  3. ^ 新村出[1]および松村明[2]参照。
  4. ^ 石黒ひさ子 2006, p. 2-3.
  5. ^ a b 石黒ひさ子 2006, p. 3.
  6. ^ 石黒ひさ子 2006, p. 5.
  7. ^ 石黒ひさ子 2006, p. 4.
  8. ^ 石黒ひさ子 2006, p. 6.
  9. ^ 石黒ひさ子 2006, p. 9.
  10. ^ a b 袴田郁一 2014, p. 86-87.
  11. ^ 袴田郁一 2014, p. 95.
  12. ^ 今堀誠二, p. 422-423.
  13. ^ a b 袴田郁一 2014, p. 85.
  14. ^ 小田部雄次 2006, p. 13.
  15. ^ 小田部雄次 2006, p. 21.
  16. ^ 小田部雄次 2006, p. 26.
  17. ^ 居相正広 1925, p. 21.
  18. ^ 居相正広 1925, p. 44.
  19. ^ 小田部雄次 2006, p. 30.
  20. ^ 居相 1925, p. 45「第二 授爵叙位 §授爵ノ順序」
  21. ^ 百瀬孝 1990, p. 37.
  22. ^ 百瀬孝, 1990 & p37/38/243.
  23. ^ a b 小田部雄次 2006, p. 45.
  24. ^ 小田部雄次 2006, p. 56.
  25. ^ a b c 百瀬孝 1990, p. 242.
  26. ^ a b 小田部雄次 2006, p. 327-339.
  27. ^ 小田部雄次 2006, p. 346.
  28. ^ 居相 1925, pp. 42-43「第一 總規 §戸主ニ非サル者爵ヲ授ケラレタル場合ニ關スル法律」
  29. ^ a b 百瀬孝 1990, p. 244.
  30. ^ a b c 小田部雄次 2006, p. 162.
  31. ^ 小田部雄次 2006, p. 163.
  32. ^ 小田部雄次 2006, p. 172.
  33. ^ 百瀬孝 1990, p. 245.
  34. ^ 小田部雄次 2006, p. 164-171.
  35. ^ 小田部雄次 2006, p. 173.
  36. ^ 小林(1991) p.16-17
  37. ^ 森(1987) p.5-6
  38. ^ 森(1987) p.15
  39. ^ 前田英昭 1976, p. 46-58.
  40. ^ 田中嘉彦 2009, p. 279/290.

参考文献編集

主な執筆者名の50音順

  • 居相正広「明治四年衆華族ヲ便殿ニ召シ賜リタル 勅諭」『華族要覧』東京:居相正広、1925年(大正13年8月編輯)、1-44 (コマ番号0005.jp2-0028.jp2)。doi:10.11501/10185022021年2月20日閲覧。全国書誌番号:43045309
  • 石黒ひさ子「五等爵制」再考」『駿台史學』第129巻、明治大学史学地理学会、2006年12月25日、 1-20頁、 ISSN 05625955NAID 120001439019
  • 今堀誠二唐代封爵制拾遺」『社会経済史学』第12巻第4号、社会経済史学会、1942年、 419-451頁、 NAID 110001212961
  • 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366
  • 小林章夫『イギリス貴族』講談社講談社現代新書1078〉、1991年(平成3年)。ISBN 978-4061490789
  • 田中嘉彦英国ブレア政権下の貴族院改革 第二院の構成と機能』(PDF)一橋大学、2009年。
  • 広辞苑 第六版岩波書店、2011年、1224頁。ISBN 400080121X
  • 袴田郁一「両晉における爵制の再編と展開 : 五等爵制を中心として」『論叢アジアの文化と思想』第23号、アジアの文化と思想の会、2014年12月、 79-134頁、 ISSN 1340-3370NAID 120005819881
  • 前田英昭『イギリスの上院改革』木鐸社、1976年。ASIN B000J9IN6U
  • 松村明(編)『大辞林 第三版三省堂、2006年、1094頁。ISBN 4385139059
  • 百瀬孝『事典 昭和戦前期の日本―制度と実態』吉川弘文館、1990年。ISBN 978-4642036191
  • 森護『英国の貴族 遅れてきた公爵』大修館書店、1987年(昭和62年)。ISBN 978-4469240979

関連項目編集