三島義一郎
日本の陸軍軍人
三島 義一郎(みしま ぎいちろう、1894年(明治27年)12月31日[1] - 没年不明[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]
三島 義一郎 | |
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生誕 |
1894年12月31日 日本 福岡県 |
死没 | 没年不明 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1916年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1894年(明治27年)に福岡県で生まれた[1]。陸軍士官学校第28期、陸軍大学校第37期卒業[1]。1938年(昭和13年)5月に第116師団参謀長に就任し[2]、7月に陸軍砲兵大佐に進級[2]。日中戦争に出動し、安慶に駐屯[1]。警備、討伐戦に当たり、漢口攻略に参加した[1]。1939年(昭和14年)3月に野戦重砲兵第1連隊長を経て[2]、11月に陸軍野戦砲兵学校教官に就任[2]。1940年(昭和15年)3月より兼陸軍野戦砲兵学校自動車部長[2]。12月に陸軍自動車学校幹事を経て[2]、1941年(昭和16年)7月に第23砲兵団長に就任し[2]、10月に陸軍少将に進級した[2]。
1942年(昭和17年)に壱岐要塞司令官に就任し[1]、1944年(昭和19年)2月に第3砲兵団長[1]、7月に豊予要塞司令官を経て[1]、11月に船舶砲兵団長に就任[1]。1945年(昭和20年)3月に陸軍中将に進級し[2]、4月に第150師団長に親補された[1]。朝鮮・光州で終戦を迎えた[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。