上田 長則(うえだ ながのり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将後北条氏の家臣。武蔵国松山城主。

 
上田長則
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文3年(1534年
死没 天正11年3月5日1583年4月26日
墓所 東秩父村浄蓮寺
官位 蔵人佐能登
主君 北条氏政
氏族 上田氏
父母 父:上田朝直
兄弟 長則憲定蓮覚院北条氏勝正室)
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出自は武蔵七党西党の流れを汲む上田氏の庶流。

元亀4年(1573年)、長則が松山城下の問屋へ発給した朱印状が文書等で確認できる初見である。これ以前に父・上田朝直から家督を譲り受けていたと推測される。以後、父に代わって主に天正年間に松山城下の寺社や商人に対して複数の発給文書を出し、活発に活動している。

天正11年(1583年)に50歳で没し、家督は弟・憲定が継いだ。

参考文献編集

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