『新撰姓氏録』「左京皇別」によると、「下道朝臣」は「吉備朝臣」と同祖で、稚武彦命の孫吉備武彦命の後であるとなっている。
称徳朝の天平神護元年(765年)正月7日、改元とともに日置蓑麻呂・多治比長野・多治比乙麻呂・中臣習宜山守・弓削秋麻呂・弓削牛養らとともに外従五位下から内位の従五位下に昇叙[1]。
『続日本紀』による。
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