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下道 長人(しもつみち の ながひと)は、奈良時代官人朝臣。吉備下道郡造・下道大足の子とする系図がある[1]官位従五位下大和介

 
下道長人
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位下大和介
主君 光仁天皇桓武天皇
氏族 下道朝臣
父母 父:下道大足
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目次

経歴編集

宝亀8年(777年)に第16次遣唐使判官としてに渡り、翌宝亀9年(778年)帰路で耽羅島(済州島)に漂着した海上三狩らを日本に迎えるために、宝亀10年(779年)2月に長人は遣新羅使に任ぜられる。7月には三狩らを率いて無事に日本に帰国し大宰府に至る[2]

桓武朝の延暦3年(784年従五位下・大和介に叙任されている。

官歴編集

続日本紀』による。

脚注編集

  1. ^ 鈴木真年『諸系譜』第13冊,吉備氏,妹尾氏
  2. ^ 『続日本紀』宝亀10年7月10日条

参考文献編集