中山満親
南北朝時代から室町時代前期の公卿。正二位・権大納言。勅撰集『新後拾遺和歌集』『新続古今和歌集』に3首入集。中山家8代
中山 満親(なかやま みつちか)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての公卿。権中納言・中山親雅の子。官位は正二位・権大納言。中山家8代当主。
時代 | 南北朝時代 - 室町時代前期 |
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生誕 | 応安4年/建徳2年(1371年) |
死没 | 応永28年4月26日(1421年5月27日) |
改名 | 親兼(初名)→満親 |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 後小松天皇→称光天皇 |
氏族 | 中山家 |
父母 | 父:中山親雅、母:加賀局(長快の娘) |
子 | 定親、有親 |
経歴
編集7代当主・中山親雅の子として誕生。初名は親兼。
応安6年/文中2年(1373年)、叙爵。永和元年/天授元年(1375年)、侍従となる。至徳3年/元中3年(1386年)、正五位下に叙される。満親と改名。 嘉慶元年/元中4年(1387年)、左近衛少将となる。明徳元年/元中7年(1390年)、信濃権介。応永2年(1395年)、蔵人頭。応永9年(1402年)、正四位上・参議となり公卿に列する。
応永10年(1403年)、従三位、加賀権守( - 1407年)。応永15年(1408年)、正三位に叙される。応永17年(1410年)、因幡権守。応永18年(1411年)、従二位・左近衛中将。応永21年(1414年)、権中納言。応永24年(1417年)、正二位。応永25年(1418年)、権大納言。
応永28年(1421年)、出家し祐満と号す。同年に没。享年51。
系譜
編集参考文献
編集- 安田元久『鎌倉・室町人名事典』(新人物往来社、1990年)