中村水竹

江戸時代末期の日本の篆刻家

中村 水竹(なかむら すいちく、男性、文化3年(1806年) - 明治5年1月6日1872年2月14日))は、江戸時代末期の日本の篆刻家である。

幼名を名霄もしくは天祥、は元祥、は爾祥・夢竜、は水竹の他に酔茗軒。通称は主馬もしくは播磨介。京都の人。

略伝

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京都西洞院一条下ル中立売北に住み、代々近衛家に仕えている。篆刻は三雲仙嘯に学んだ。に巧みであった。慶応3年(1867年)に幕命によって御璽国璽を刻している。ほかに有栖川宮熾仁親王の印も刻した。自印の印譜『水竹丹篆』がある。

出典

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関連項目

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