中村部屋

日本の相撲部屋

中村部屋(なかむらべや)は、かつて日本相撲協会に存在した相撲部屋。1962年までは二所ノ関一門、平成期には高砂一門の所属だった。

二所ノ関一門 編集

もともとは大坂相撲の名跡で、1927年の東西協会合併の折には4代中村が中村部屋を経営していた。1930年代なかばに、二所ノ関一門に合流した。4代中村は幕内・楯甲新蔵を育てた。

楯甲は引退後に年寄・5代中村を襲名して中村部屋を継承し、幕内・楯甲幸男などを育てたが、1962年6月を最後に中村部屋は閉鎖され、所属力士は二所ノ関部屋へ移籍した。この時に移籍した力士の中にはのちの前頭・大文字や十両・天山がいた。

師匠 編集

  • 初代:侠客・中村芝吉
  • 2代:中村(小松山)
  • 3代:中村(前1・小若島)
  • 4代:中村(十9・葭ノ浦)
  • 5代:中村(前1・楯甲、大阪)

力士 編集

幕内
十両

高砂一門 編集

概要 編集

1985年(昭和60年)3月場所に引退してから高砂部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていた年寄・10代中村(元関脇富士櫻)が、1986年5月場所後に高砂部屋から分家独立して部屋を創設した。

以降、学生出身者と外国人は入門させない、入門から一定期間過ぎても芽の出ない力士は引退させて第二の人生を歩ませる、中学卒の力士には山梨県の日本航空高等学校の通信課程を履修させて高校卒業の資格を得られるようにするなどといった独自の方針を掲げての部屋運営を行い、4名の関取彩豪須磨ノ富士一の谷飛翔富士)を輩出したものの、幕内力士を出すことはできなかった。前述の日本航空高等学校通信制課程とのプロジェクトでは、2006年3月に7名の力士が卒業証書を手にした。

部屋の女将である中澤嗣子は、女将業と並行して東洋英和女学院大学大学院で相撲部屋の経営や指導法をテーマとして論文を執筆し、修士号を得た[1]。研究の成果を基に2004年に『相撲部屋24時おかみさん奮戦記』(講談社ISBN 4-06-272254-2)という著書を発表した。

10代の停年退職を約1年後に控えた2012年1月場所前の時点で、同年11月場所を最後に部屋を閉鎖して所属力士らが東関部屋へ転籍することが決定され、同年11月18日に行われた日本相撲協会臨時理事会において、10代と所属力士と床山は東関部屋へ、行司は八角部屋へとそれぞれ同年12月19日付で正式に転籍することが認められ、正式に部屋は閉鎖された。10代は2013年2月8日に停年を迎えている。また、部屋の施設は2013年4月に15代武蔵川(元横綱・武蔵丸)が興した武蔵川部屋に受け継がれた。

師匠 編集

  • 10代:中村 榮男(なかむら よしお、関脇・富士櫻、山梨)

力士 編集

十両

脚注 編集

  1. ^ 朝日新聞2003年5月11日付朝刊一面及び第2社会面

関連項目 編集

  • HIRO (お笑い芸人) - かつて中村部屋所属の力士であった。廃業時の四股名は和歌桜康幸。

外部リンク 編集