中津大神宮

大分県中津市にある神社

中津大神宮(なかつだいじんぐう)・中津神社(なかつじんじゃ)は、大分県中津市二ノ丁にある神社旧社格は郷社。

中津大神宮
所在地 大分県中津市二ノ丁1273-1
位置 北緯33度36分23.1秒 東経131度11分9.3秒 / 北緯33.606417度 東経131.185917度 / 33.606417; 131.185917 (中津大神宮)座標: 北緯33度36分23.1秒 東経131度11分9.3秒 / 北緯33.606417度 東経131.185917度 / 33.606417; 131.185917 (中津大神宮)
主祭神 天照大御神豊受大御神倭姫命天宇豆売命
社格 旧郷社
創建 1881年(明治14年)
本殿の様式 神明造[1]
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中津神社
所在地 大分県中津市二ノ丁1278-10
主祭神 素盞鳴尊応神天皇仁徳天皇
社格 旧郷社
創建 1883年(明治16年)3月
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祭神 編集

中津大神宮[1]
中津神社[2]
ほか13柱

歴史 編集

明治維新期の中津城 編集

 
中津城の模擬天守

文久3年(1863年)8月、中津城本丸南側に松の御殿が建てられ、中津藩江戸藩邸から戻った姫君らが居住した[3]。1871年(明治4年)7月の廃藩置県後、松の御殿は小倉県中津市庁舎や大分県中津支庁舎として使用された[3]

1877年(明治10年)1月29日に西南戦争が勃発すると、同年3月31日には西郷軍(薩摩郡)に呼応した旧中津藩士の不平士族中津隊として隆起し[4]、中津隊は松の御殿を襲撃して焼失させた[3]

中津大神宮と中津神社の創建 編集

 
中津神社の鳥居

1881年(明治14年)には中津城址に神宮豊前教会が創建され、1883年(明治16年)3月には松の御殿跡地に中津神社が創建された。

神宮豊前教会は伊勢神宮の分霊を奉迎鎮祭した神社であり、創建当初は豊前地域企救郡田川郡京都郡仲津郡築城郡上毛郡下毛郡宇佐郡)の参詣者に伊勢神宮の神宮大麻神札)と神宮暦を頒布していた[1]。その後、神宮教や神宮奉斎会という名称だった時期を経て、戦後の1946年(昭和21年)に中津大神宮に改称された[1]

中津神社は新魚町の六所神社、片端町の丸山神社(義氏社)、御小屋の稲荷神社、諸町の蛭子神社、八幡大江神社の分霊を合祀した神社である[2]

境内 編集

 
「西南役中津隊之碑」
  • 「西南役中津隊之碑」[5] - 西南戦争の際に蜂起した中津隊の碑。
  • 「中津隊百年祭記念碑」[5]
  • 「恭事神明碑」[5]
  • 「御即位奉祝記念碑」[5]
  • 「日露記念砲弾碑」[5]
  • 松尾芭蕉句碑」[5]
  • 城井神社(きいじんじゃ) - 黒田長政によって中津城で謀殺された城井谷城主の城井鎮房(宇都宮鎮房)を祀っている[5]
  • 扇城神社(せんじょうじんじゃ) - 城井鎮房の従臣45柱を祀っている[5]
  • 金刀比羅宮 - 海上安全の神を祀っている[5]

祭礼 編集

毎年7月下旬には中津祇園が開催され、神輿と祇園車(山車)の巡行が行われる[6]闇無濱神社摂社の八坂神社を中心として行われる下祇園、中津神社を中心として行われる上祇園の両者を合わせて中津祇園と呼称され、最古の記録は永享2年(1430年)に遡る[6]。中津祇園は「豊前三大祭」や「大分県三大祇園祭」のひとつに数えられている[6]。1962年(昭和37年)2月27日には大分県選択無形民俗文化財に指定された。

脚注 編集

  1. ^ a b c d 中津大神宮について 中津大神宮
  2. ^ a b 中津神社について 中津大神宮
  3. ^ a b c 説明看板「松の御殿」中津市、中津の郷土史を語る会
  4. ^ 増田宋太郎と西郷隆盛~西南戦争、中津隊の反乱 WEB歴史街道、2018年3月31日
  5. ^ a b c d e f g h i 境内のご案内 中津大神宮
  6. ^ a b c 中津祇園とは 中津祇園

外部リンク 編集