中西清
中西 清(なかにし きよし、1895年 - 1972年1月6日)は、日本の漢文学者。都留文科大学第2代学長。
人物情報 | |
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生誕 |
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死没 | 1972年1月6日 (77歳没) |
出身校 | 東京文理科大学 |
学問 | |
研究分野 | 文学(漢文学)・東洋史 |
研究機関 | 都留文科大学 |
経歴
編集東京文理科大学卒業。諸橋轍次の下で漢文学を学ぶ。東京教育大学文学部教授を経て、1960年に新設された都留文科大学文学部国文学科教授となる。1965年から師でもある諸橋轍次初代学長の後継として都留文科大学第二代学長に就任[1]。在職中に新キャンパスへの移転や大学紛争への対応を行う。1969年に学長任期満了をもって退任[1]。1972年1月6日、心筋梗塞により死去。
研究内容・業績
編集研究者としては中国思想や漢文教育について業績を残した。教科書や参考書の編纂にも多く携わっている。
主要著作
編集参考資料
編集脚注
編集- ^ a b “沿革 - 都留文科大学”. www.tsuru.ac.jp. 2022年4月19日閲覧。