論語

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何晏『論語集解』 学而
論語 衛霊公
論語 八佾
莫高窟出土の『論語』

論語』(ろんご、拼音: Lúnyǔ)とは、孔子と彼の高弟の言行を孔子の死後、弟子達が記録した書物である。『孟子』『大学』『中庸』と併せて朱子学における「四書」の1つに数えられる。

四書のひとつである『孟子』はその言行の主の名が書名であるが、『論語』の書名が(たとえば「孔子」でなく)『論語』であるその由来は明らかでない(『漢書』巻30芸文志[1]に「門人相與輯而論纂 故謂之 論語」と門人たちが書き付けていた孔子の言葉や問答を、孔子死後に取り集めて論纂し、そこで『論語』と題したとある)。

別名、「倫語(りんご)」、「輪語」、「円珠経(えんじゅきょう)」とも言う。これは、六朝時代の学者、皇侃(おうかん)の著作『論語義疏』によると、漢代の鄭玄(じょうげん)という学者が論語を以て世務を経綸することが出来る書物だと言った所から、「倫語」という語が出現し、又その説く所は円転極まりないこと車輪の如しというので、「輪語」というと注釈し、「円珠経」については鏡を引用して、鏡はいくら大きくても一面しか照らし出さないが、珠(玉)

は一寸四方の小さいものでも上下四方を照らすものであり、諸家の学説は鏡の如きもので一面しか照らさないが、論語は正に円通極まりないものである、という所から「円珠経」と言うと説かれている。

概要編集

『論語』は漢代には地方で伝承していた『魯論語』、地方で伝承していた『斉論語』、孔子の旧家の壁の中から発見された『古論語』の3派があった。編の数や順序もそれぞれで多少、異なっていたが、後漢末期に『魯論語』をもとにして現在の形にまとめられた。春秋末期の語法を残しているとの分析もあるが、平勢隆郎(古代中国史家)は、これを戦国時代に作られたとの見解を取っている。

『論語』は五経のうちには含まれないが、『孝経』と並んで古来必読の書物であった。『顔氏家訓』勉学篇では、乱世では貴族の地位など役に立たないが、『論語・孝経』を読んでいれば人を教えることができると言っている。宋学では『論語』を含む四書をテクストとして重視し、科挙の出題科目にもなった。『論語』は『論語集解』や『論語集注』など注釈書が多く存在。

ヨーロッパでは、中国大陸で布教活動を行っていたイエズス会宣教師により『大学』『中庸』と共にラテン語に翻訳され、17世紀フィリップ・クプレによって出版された。中国の哲学はシノワズリの一部としてヴォルテールシャルル・ド・モンテスキューケネーといった思想家らに大きな影響を与え、啓蒙思想の発展に寄与した。

構成編集

512の短文が全20篇で構成されている。篇の名称は各篇の最初の二文字(または三文字)を採ったものであり章によってはその章の内容のことをいう。前10篇を「上論」、後10篇を「下論」と呼んで区別したりもする。論語は学問に関する章が多く取り上げられており、学以外にも社会秩序などにかんする内容も取り上げられている。全10巻。

  • 学而第一(がくじ)
    • 「学」についての記述、孔子の根本思想についての立件が多いため、熟読すると良いと朱熹は言う(集注)。凡そ十六章[2][3]
  • 為政第二(いせい)
    • 政治についての記述が多いとされる。凡そ二十四章[2][3]
  • 八佾第三(はちいつ)
    • 礼楽に関する記述が多く、この「八佾」も礼楽の行列の名前である。凡そ二十六章[2][3]
  • 里仁第四(りじん)
    • 「仁徳」に関する記述が多いとされる。朱熹は凡そ二十六章[2][3]
  • 公冶長第五(こうやちょう)
    • 名の通り孔子の弟子の公冶長との問答より始まることから公冶長篇と名付けられたとされる。この章の殆ど(最後の三章)が孔子と弟子との問答や人物評価が書かれている。凡そ二十七章[2][3]
  • 雍也第六(ようや)
    • 人物評論や「仁」と「知」の論が目立つとされる。凡そ二十八章[2][3]
  • 述而第七(じゅつじ)
    • 孔子の自身言葉や容態、行動に関した記述が多いとされる。凡そ三十七章[2][3]
  • 泰伯第八(たいはく)
    • 泰伯への称賛から、礼楽など、終盤には聖人などの構成とされる。凡そ二十一章[2][3]
  • 子罕第九(しかん)
    • 孔子の言行や孔子の出処進退に関する門人の記録が多いとされる。凡そ三十章[2][3]
  • 郷党第十(きょうとう)
    • 篇首が「孔子」で始まり、「子曰」という記述がないとされる。吉田(1960)は朱熹の集注をもとに十八章に分けた[2][3]
  • 先進第十一(せんしん)
    • 門人などの人物評論が多く、孔子が祖国の魯に帰国してからの門人との言行の記述があることから孔子晩年期がわかる。凡そ二十五章[2][3]
  • 顔淵第十二(がんえん)
    • 孔子と門人、君主が「仁」や「政」に関する問答は多く、篇首には顔回との「仁」についての問答から始まる。凡そ二十四章[2][3]
  • 子路第十三(しろ)
    • 前半は政治について、後半は善人や士君子や道徳についての問答が多いとされる。凡そ三十章[2][3]
  • 憲問第十四(けんもん)
    • この篇首、原憲が孔子に「恥」について問いたが、これ以降の篇では「原憲」のことを「原思」と字を用いていることからこの篇はは原憲が書いたのではないか,または魯の国で編集したのではないかと吉田(1960)は考察した。凡そ四十六章[2][3]
  • 衛霊公第十五(えいれいこう)
    • この篇は修身出処に関する雑言が多いとされる。凡そ四十一章[2][3]
  • 季氏第十六(きし)
    • この篇は「下論」でも体裁が異なっているとし、「子曰く」とあったところが「孔子曰」となっている。凡そ十四章[2][3]
  • 陽貨第十七(ようか)
    • この篇は孔子の出処進退に関する章が数章ある。世の中が衰え、道が行われないことを嘆いたり、当局者や門人に与えた警告も多いとされる。凡そ二十六章[2][3]
  • 微子第十八(びし)
    • この篇は他の逸民の話が多いが、孔子に関係を持った人達の出処進退などが記されているとされる。凡そ十一章[2][3]
  • 子張第十九(しちょう)
    • この篇の大体が孔子の門人たちの言葉のみ記されている。特に高弟の言が多く、孔子に類するような言葉などが多いとされる。凡そ二十五章[2][3]
  • 堯曰第二十(ぎょうえつ)
    • この篇は凡そ三章であるが、聖人の政治や為政者にとっての政治的訓誡、君子の要訣など論語全篇に照応させたように見られると吉田(1960)は言う[2][3]

現代中国の『論語』の評価 編集

ところで、儒教の権威がくずれ去ってからの中国、とりわけて現在の人民共和国で、『論語』がどのように取り扱われいるかという疑問は、恐らく誰の胸にも去来するであろう。中華民国の革命後、儒教が徹底的な攻撃にさらされたのは、1919年の五・四運動からであった。その頃、攻撃の急先峯にたって最も尖銳であったのは、のちに中国共産の創立者となった陳独秀であり、評論家の呉虞であり、また作家の魯迅であった。呉虞はいう、「儒教は孝悌の二字によつて、2000年来の専制政治と家族制度を連結してきた基本である。その害毒は洪水猛獣よりも甚だしい」。魯迅はまたその諷刺に満ちた小説と小品分とによって、「人を食う礼教」としての儒教に対する絶望に似た深刻な憎しみを表白した。古い封建的な中国社会を支えてきた儒教、それを根底からくつがえすのでなければ、デモグラシーもサイエンスも発展の余地がないと観念されたのであった。まことに、デモグラシーとサイエンスとは、当時の新文化運動の二大シンボルである。魯迅らの鋭さはなくても、胡適もまたデュウィーの実用主義の立場をうけて儒教意外の諸子百家や小説類の研究を進め、疑古派とよばれる顧頡剛らは実証的精神によって古典の批判を行ない、それらのことによって儒教体制を支える経典の権威をつかずしていった。『論語』や孔子研究は、こうした風潮の中でもちろんふるわなかったが、しかし科学的な研究が広められる礎地はここに開かれたのである。孔子の権威をかついで『論語』を教訓的に読む従来の立場は、こうして次第に勢力を縮小していった。ただ中日戦争に入るころともなると、政府は民心統一のために伝統思想を尊重する方針を取り、ふたたび孔子祭を国家行事として復活するとともに、孔子の嫡統を優遇する政令を定めたりした、一方では、中国共産党延安に居を定めたころことである。しかし、それも終戦後の人民共和国の成立によって解消した。今ではもはや宗教的伝統的な孔子崇拝の立場はなく『論語』は他の古典と同様に民族文化の遺産として、科学的な研究対象とされている。人民共和国での科学的な古典研究の方法とは、いうまでもなく唯物史観によるものである。思想史は社会経済の進展にともなう唯物論と唯心論との闘争の歴史であり、唯物論が進歩的で新しい社会に対応していくと考える立場から、古典思想の世界観的立場が究明され、従来あまり重視されなかった唯物論思考家たちが発掘されはじめた。封建的な旧社会の精神的支柱となってきた『論語』孔子の思想は、いったいどのように批判され評価されているのであろうか。終戦後、重慶で出版された郭沫若氏の『十批判書』は、版を重ねて大きな影響力を持ったが、そこでは、孔子は当時の新興勢力に同情する革命的な進歩的思想家で、その尚古てきなことばはいわゆる「托古改制」であって古代に理想を托して現実の改革をめざしたものだとされ、仁の思想は自己犠牲によって大衆に服務するもので、王権と神権を排除する現実的人文主義の集約だと述べられた。孔子の進歩性は特に墨子の保守反動性との対照で強調されているが、その後、『墨子』の研究が進んでその積極的な勤労主義や平和主義が高く評価されるようになると、郭氏の孔子評価は強い批判をうけることとなった。『墨子』の進歩性と対比して孔子の保守反動性が指摘されたり、また古代社会史の研究が進むにつれて孔子の位置付けについての論争が行われたりして、その研究は活潑になった。趙紀彬氏の『論語新探』は、その前半で歴史的状況を究明して、例えば、『論語』のなかでな「人」の字と「民」の字との使いわけがあって奴隷主と奴隷との両階級の分別を立てていると論証し、後半では思想内容の吟味を行なって、要するに孔子には進歩的な面もあるけれどもそれは第二義的で、その階級的立場は奴隷主に属して保守反動的だと結論づけている。最近『論語』に関する最もきめのこまかい研究だといえるであろう。もちろんこの研究に対する批判や修正意見もあらわれた。そして、1960年から62年にかけての活潑な論争をまとめたものが、1963年に出版された。『孔子哲学討論集』である。この書物に収められた論文は23篇、執筆者19名で、その論点は、編集者によると、孔子の階級的立場、孔子の政治学説、孔子の哲学思想、孔子の思想の評価という四点にあるという。それぞれにさまざまな意見の対立があるが、例えば奴隷制社会から封建社会への移行期にあたって、孔子はその転向を進める支配階級の立場にたつ改良主義者であったとする説もあれば、その場合孔子は新興の地主層の立場にあって新しい時代をひらく任務を果たしたのだとする説もある。孔子が復古的なことばを述べたのは、この新興勢力がまだ微弱であったために旧勢力の圧迫をさけたのだともいわれる。あるいはまた、孔子はその教育面で最も光彩があるが、政治面では時代に逆行した保守反動性が強いともされ、また無神論的傾向はあるが結局唯心主義を離れなかった啓豪思想家だともされる。いろいろの議論を通して、要するに孔子が歴史的偉大な思想家だという評価は一定している。だからこそ、これだけの議論が費されたわけであろう。しかし、1966年から始まった文化大革命の嵐のなかで、1973年の夏から烈しい「批林批孔」の大キャンペーンが起こされた。当時、政治の中枢を失脚した林彪とあわせて、孔子を保守反動としてきびしく批判したのであるりいや、批判というより、むしろ罵倒に終始した。林彪と抱きあわせということでわかるように、それは当時の中国の政治情勢にもとづく強引な歪曲によるものであった。毛沢東主席の死によって文化大革命の幕が閉じ、いわゆる四人帮批判が行われるようになると、批孔運動もうそのように収まった。今や、孔子の亡霊を引きずり出して、それを政治的に利用することは、右にせよ左にせよもうたくさんだという反省が、中国の研究者のあいだで広がっている。それだけに、『論語』や孔子の客観的科学的な研究が一層望まれるというわけである。唯物論を奉ずる新中国では、あるいは『論語』や孔子などはもう積極的に問題にされることはないのではないかというのが、われわれの素朴な感じであろう。しかし事実は決してそうではない。現在も、むしろその盛況に驚かされるほどである。『論語』は重要な古典として、今後とまだまだ読みつがれていくに違いない[4]

注釈書編集

漢代には既に、馬融鄭玄などが『論語』に注しているが、残存していない。現存最古のものは何晏がまとめたとされている『論語集解』(古注)である。 但し、『三国志』巻九の何晏の列伝には編纂したことは書かれておらずどこまで何晏の解釈か難しい。 南宋の朱熹は、独自の立場から注釈を作り『論語集注』(新注)としてまとめた。江戸時代以降の日本でももっぱら新注が用いられたが、朱子学の論語解釈を批判する形での論考に、伊藤仁斎論語古義』、荻生徂徠論語徴』がある。

刊行文献編集

校訂訳注編集

  • 荻生徂徠『論語徴 1』小川環樹訳注、平凡社〈平凡社東洋文庫 575〉、1994年3月。ISBN 4-582-80575-2
  • 荻生徂徠『論語徴 2』小川環樹訳注、平凡社〈平凡社東洋文庫 576〉、1994年4月。ISBN 4-582-80576-0
  • 朱熹 『論語集注』 土田健次郎訳注、平凡社東洋文庫(全4巻)、2013-2015年
  • 朱熹『四書章句集注』〈新編諸子集成〉、中華書局、2006年。ISBN 9787101081695

解説文献編集

脚注編集

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  1. ^   班固. 漢書/卷030. - ウィキソース. 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 吉田賢抗『論語』明治書院〈新釈漢文大系〉、1960年5月25日。ISBN 9784625570018
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 朱熹 (2006). 四書章句集注. 新編諸子集成. 中華書局. ISBN 978-7-101-08169-5. 
  4. ^ 金谷治『論語の世界』日本放送出版業界、1970年8月20日、66-70頁。ISBN 4140011238

関連項目編集

外部リンク編集