中西石焦(なかにし せきしょう、 享保18年(1733年) – 文化4年1月21日1807年2月27日))は、江戸時代中期後期の日本の画家篆刻家である。

は万(よろず)、を公世、石焦は 通称与一右衛門。中万(なかよろず)と修した。

略伝 編集

安永年間に浪華に住んでいた。尾張藩に仕える。岡田米山人と交流があった。印譜に『諸名公名譜』。他に『石焦遺稿』がある。享年75。墓所は天満竜海寺

出典 編集