久津八幡宮

岐阜県下呂市にある神社

久津八幡宮(くづはちまんぐう)は、岐阜県下呂市にある神社である。南飛騨総鎮守、飛騨国二宮とされる(諸説あり)。旧社格は県社。

久津八幡宮
所在地 岐阜県下呂市萩原町上呂2345番地1
位置 北緯35度53分15.0秒 東経137度12分44.5秒 / 北緯35.887500度 東経137.212361度 / 35.887500; 137.212361 (久津八幡宮)座標: 北緯35度53分15.0秒 東経137度12分44.5秒 / 北緯35.887500度 東経137.212361度 / 35.887500; 137.212361 (久津八幡宮)
主祭神 応神天皇
社格 (伝)飛騨国二宮・県社・金幣社
創建 仁徳天皇65年(377年
本殿の様式 三間社流造
例祭 4月第三土曜・日曜
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本殿(三間社流造)および拝殿は、室町時代安土桃山時代の再建であり、国の重要文化財である[1][2]。また、境内にある夫婦杉は国の天然記念物である[3]

祭神

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沿革

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377年仁徳天皇65年)、両面宿儺を成敗した武振熊命が、この地に応神天皇を祭祀したと伝えられている。

1159年平治元年)、河内源氏の棟梁である源義朝の長男源義平がこの地を訪れたさい、鶴岡八幡宮を勧請した。また久津八幡宮の社殿造立棟札が残っており、その中に「…伝え聞く、当国八幡宮は、源義平、保元年中に関東鶴岡より、ここに勧請する…」という記述があることから、義平は平治の乱以前にもここを訪れていた可能性も高い。

1412年応永19年)、飛騨国領主の白井太郎俊国が本殿を再建し、1581年天正9年)には三木自綱が拝殿を再建する。この後、順次建物が再建された。

祭礼

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  • 例大祭:4月第三土曜・日曜

文化財

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重要文化財(国指定)

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  • 本殿 - 室町時代中期(1412年)の建立。三間社流造、こけら葺。昭和28年(1953年)11月14日指定。
  • 拝殿 - 安土桃山時代(1581年)の建立。桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、こけら葺。大正13年(1924年04月15日)指定。

所在地

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その他

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  • 重要文化財の本殿にある彫刻 鳴き鶯 は、本殿建設中に鳴いたという伝説がある。
  • 重要文化財の拝殿びある彫刻 水を呼ぶ鯉 は、近くの益田川を呼び寄せ、洪水を起こしてしまう。そこで矢の彫刻を添えたところ、洪水がおこらなくなったという伝説がある。
  • 4対の円空仏を所蔵している。
  • 夫婦杉は樹齢1200年、幹回り12.5mの雌雄対のである。雌木には乳房状のコブがあり、昔から子授けの信仰があったという。1934年昭和9年)の室戸台風で幹の上部は折れてしまい、現在もその痕跡がある。
  • 久津八幡宮祭礼記録類は、岐阜県重要有形文化財に指定されている[4]
  • 久津八幡宮蔵狛犬は、下呂市有形文化財、久津八幡宮本地仏開扉に関する文書並びに関連資料は、下呂市有形民俗文化財に指定されている[5]

脚注

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  1. ^ 久津八幡宮本殿 附棟礼”. 岐阜県. 2013年4月21日閲覧。
  2. ^ 久津八幡宮拝殿 附棟礼”. 岐阜県. 2013年4月21日閲覧。
  3. ^ 久津八幡神社の夫婦スギ”. 岐阜県. 2013年4月21日閲覧。
  4. ^ 久津八幡宮祭礼記録類”. 岐阜県. 2013年5月14日閲覧。
  5. ^ 指定の文化財一覧” (PDF). 下呂市. 2013年5月16日閲覧。

関連項目

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