乙部館(おとべだて)は、岩手県盛岡市乙部にあった日本の城。現在は宅地や畑地になっている。

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乙部館
岩手県
別名 [1]
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 乙部兵庫、福士右衛門尉
廃城年 1592年天正20年)
遺構 曲輪
指定文化財 史跡等未指定[2]
位置 北緯39度36分38.7秒 東経141度11分59.3秒 / 北緯39.610750度 東経141.199806度 / 39.610750; 141.199806座標: 北緯39度36分38.7秒 東経141度11分59.3秒 / 北緯39.610750度 東経141.199806度 / 39.610750; 141.199806
地図
乙部館の位置(岩手県内)
乙部館
乙部館
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歴史 編集

かつての陸奥国志和郡乙部村に所在し、鎌倉時代弘安3年(1280年)に平泉中尊寺の経蔵別当・永栄が、弟子・朝賢に譲与した所領の一部に村名が見られ、南北朝時代康永3年(1344年)にも再確認されている。

鎌倉時代から室町時代にかけて、志和郡東部には、河村氏の一党が居住している。稗貫郡の新堀や大迫に通じる要地で中世の宿駅があり、北の不来方郷(盛岡)にも通じ、北上川と乙部川の合流点にあった。

築城年代は不明であるが、古館は天正年間(1573年-1592年)の頃、斯波氏の家臣・乙部兵庫の拠ったとこで、同16年、同氏族滅亡後、南部藩家臣・福士右衛門尉の居城となった。

天正20年(1592年)の『諸城破却書上』には、「乙部 平城 破 福士右衛門 持分」とあり、破却された。

脚注 編集

参考資料 編集

  • 『岩手県史 第3巻 中世篇 下』岩手県、1961年10月20日。 
  • (有)平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 第3巻 岩手県の地名』平凡社、1990年7月13日。ISBN 4-582-91022-X 

関連項目 編集