九鬼隆久

摂津三田藩の第5代藩主

九鬼 隆久(くき たかひさ、延宝8年(1680年) - 享保7年6月23日1722年8月4日))は、摂津三田藩の第5代藩主。九鬼氏17代当主。

九鬼隆久の墓(兵庫県三田市心月院)

大和柳生藩柳生宗在の長男。母は五条為庸の娘。官位は従五位下、大和守。

幼名は内記。元禄10年(1697年)、先代藩主の九鬼副隆の死去に際し、その従弟に当たる関係から養嗣子として跡を継いだ。御小姓並、御小姓となった。享保2年(1717年)4月16日、養嗣子の隆抵に家督を譲って隠居し、享保7年(1722年)6月23日、43歳で死去した。墓所は東京都豊島区駒込の泰宗寺。