二条教良

1234-1313?, 鎌倉時代中期の公卿。二条良実の子。官位は従一位・権大納言。二条と号した。勅撰集『続古今和歌集』以下に13首入集
 
二条教良
時代 鎌倉時代中期
生誕 文暦元年(1234年
死没 不明
別名 二条
官位 従一位権大納言
主君 後嵯峨天皇後深草天皇亀山天皇伏見天皇後伏見天皇後二条天皇
氏族 二条家
父母 父:二条良実、母:藤原隆保娘か[1]
兄弟 道良教良、道玄、師忠経通、道瑜、兼基経忠、尋源、道潤、良宝、道乗、三条公親養女
経教、教基、二条教良女
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二条 教良(にじょう のりよし)は、鎌倉時代中期の公卿関白左大臣二条良実の二男[2]官位従一位権大納言二条と号した。娘である二条教良女は歌人として名高い。

経歴編集

以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

従一位昇叙の背景編集

二条教良は年齢面から見ると二条良実の長男であった道良と同年生まれの可能性が高いが、母の出自が低いために道良夭折後は弟・師忠が家嫡として立てられたと推測できる。しかしこの時師忠はまだ幼児であり、師忠の生母も取り立てて出自が良いとも言えないため[5]良実の判断によって後嗣が決定されたのであろう。師忠は弘安10年(1287年)には関白となり、師忠の養子として家を継いだ弟・兼基永仁6年(1298年)に摂政、さらに翌正安元年(1299年)には左大臣から太政大臣に転じている。一門の長老としての待遇を受けた結果の従一位昇叙であると考えられる。

系譜編集

脚注編集

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  1. ^ 『公卿補任』では母は宮仕えの女房とある。
  2. ^ 二男とされているが実は良実の嫡男二条道良と同い年である可能性が高い。母の出自の差により、兄道良が早世したあとは弟の師忠が家嫡にたてられたと考えられる。
  3. ^ 庶流とはいえ摂関家の出身で40歳ごろになってからの議政官就任が参議であり、あまり良い待遇ではない。他の兄弟たちの処遇と合わせ、今後検討の必要がある。
  4. ^ 二条良実の室・従一位藤原灑子の養子となっていたか。
  5. ^ 『尊卑分脈』によれば道良の母を養母としたことがわかる。

参考文献編集