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二階堂 基行(にかいどう もとゆき)は、鎌倉時代前期の武士鎌倉幕府評定衆

 
二階堂基行
時代 鎌倉時代前期
生誕 建久9年(1198年
死没 仁治元年12月15日1240年11月10日[1]
改名 行阿(法名)
別名 元行
戒名 徳雲院殿仁岳行阿[2]
官位 左衛門尉
幕府 鎌倉幕府 評定衆
氏族 藤原南家乙麻呂二階堂氏
父母 父:二階堂行村、母:懐島[3]
兄弟 基行行義行久行方惟行
行氏、行定
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略歴編集

建久9年(1198年)、二階堂行村の子として誕生[4]

建保元年将軍源実朝の学問所番に任じられ、和田合戦での勲功により相模国懐島殿原郷の地頭職を得る[5]。承久の乱においては鎌倉にあり加持祈祷や軍勢催促にあたった[5]。 建保7年(1219年)4月27日に出家、行阿と名乗った[6]。益田荘地頭となり、暦仁2年/延応元年(1239年)には評定衆となる[7]

仁治元年(1240年)10月、子の行氏に地頭職[8]を譲り12月に死去した。

脚注編集

  1. ^ 「吾妻鏡」仁治元年12月15日条『大日本史料』5編13冊209頁
  2. ^ 「二階堂氏正統家譜」『大日本史料』5編13冊209頁
  3. ^ 「尊卑文脈」『大日本史料』5編13冊209頁
  4. ^ 享年より逆算『大日本史料』5編13冊209頁
  5. ^ a b 「吾妻鏡」『大日本史料』5編13冊209頁
  6. ^ 「関東評定伝」『大日本史料』5編13冊209頁
  7. ^ 「関東評定伝」『大日本史料』5編12冊602頁
  8. ^ 相模国懐島殿原郷、三河国重原荘、尾張国西門眞荘、伊勢国盆田荘、肥前国鏡社。「二階堂文書」『大日本史料』5編13冊209頁

関連書籍編集

  • 伊勢平氏8所引三重縣史料