井上正瀧
井上 正瀧(いのうえ まさたき)は、下総国高岡藩の第8代藩主。
時代 | 江戸時代後期 - 末期 |
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生誕 | 寛政12年(1800年) |
死没 | 文久2年1月24日(1862年2月22日) |
改名 | 瀧吉(幼名)→正瀧→如水(号) |
戒名 | 玄陽院逢山日治 |
墓所 | 東京都文京区白山の浄心寺→染井霊園に改装 |
官位 | 従五位下、筑後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉→家慶 |
藩 | 下総高岡藩主 |
氏族 | 井上氏 |
父母 | 父:井上正紀 |
兄弟 |
清三郎、正瀧、正忠、松前八之丞室、 井上太郎室 |
妻 | 正室:大岡忠正娘 |
子 | 正域、正和、永井直哉、大久保忠寿正室 |
7代藩主・井上正紀の三男として生まれる。文化3年(1806年)12月7日、父の死去により家督を継ぐ。文化11年(1814年)11月1日、将軍・徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下、筑後守に叙位・任官する。天保12年(1841年)11月24日、病気を理由に家督を長男の正域に譲って隠居し、如水と号した。
文久2年(1862年)1月24日、死去。享年63。
系譜
編集父母
正室、継室
子女