メインメニューを開く

京成3300形電車(けいせい3300がたでんしゃ)は、1968年(昭和43年)から2015年(平成27年)まで在籍していた京成電鉄通勤形電車

京成3300形電車
3300形2次車モハ3349(2009年1月)
3300形2次車モハ3349(2009年1月)
基本情報
運用者 京成電鉄
製造所 東急車輛製造日本車輌製造汽車製造
製造年 1968年 - 1972年
製造数 54両
引退 2015年
主要諸元
編成 4両編成
軌間 1,435 mm
電気方式 直流1,500V (架空電車線方式
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 110 km/h
起動加速度 3.5 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
台車 空気ばね台車FS-361A形・KS-121A形
コイルばね台車FS-329D形・KS-131形
主電動機 MB-3097-C2形・MB-3097-C3形・TDK-816-A1形・TDK-816-A01直流直巻電動機
主電動機出力 100 kW × 4
駆動方式 WN継手式平行カルダンTDカルダン駆動
歯車比 97:16 (6.06)
編成出力 1,200 kW (3M1T)
制御方式 抵抗制御
制御装置 電動カム軸式
制動装置 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
保安装置 C-ATS
テンプレートを表示

3000系赤電シリーズの最終形式である。

目次

概要編集

1968年(昭和43年)11月から1972年(昭和47年)3月にかけて3301 - 3350、3353 - 3356の54両を東急車輛製造日本車輛製造汽車製造で製造。成田側から3301-3302-3303-3304の順に組成し、3200形同様に車両番号順の4両編成が基本。編成名は上野方車号で3304編成・3308編成と呼称した。3351 - 3352は欠番だったため、3349 - 3350は成田方先頭車を持つ2両ユニットの半編成で、他の4両と連結し6両で使用するのが基本だった。3304編成は京成初の東急車輛製である。

1次車として1968年11月に3301 - 3316の16両を製造した。3200形両扉車と外観上の差異はなく、内装の変更点として座席仕切り部にスタンションポールを配したほか置したほか吊革を枕木方向・扉部にも設置。荷棚・シート・吊革棒を一体化した。台車は3150形以来の空気ばね台車である。駆動装置、主電動機、台車の組み合わせは下記のとおり。

電動機は東洋電機製は3200形6M車のTDK-816-A・TDK-816-A01からTDK-816-A1に変化し、三菱電機製はMB-3097-CからMB-3097-C2に変化したが両メーカー共3200形6M車と共有可能。更新時に3200形6M車も大半でTDK-816-A1もしくはMB-3097-C2主電動機に換装した。なお、後述のとおり3300形でも3200形6M車で使用したTDK-816-A01を使用した(東洋電機製造製のTDK-816シリーズの主電動機はTDカルダン用でWN駆動車で使用不可だったがTD駆動車は共有可能だった)。

3316までの車両は3200形6M車とほぼ同形式扱いで3300形1次車と呼ぶ。後述のとおり冷房化以降は経緯が異なり、更新は3300形というくくりで施工し3200形と多少異なる外観に変更した(後に詳細解説)。

1969年(昭和44年)12月以降に製造された2次車の3317以降は3000形や3050形などとの併結を考慮して金属ばね台車を再び採用した。ブレーキ作用装置をKDK58作用装置からマイナーチェンジしたKDK69作用装置を搭載。1次車や3200形6M車以前の3000系赤電とはブレーキ緩和音が異なった。台車に関しては時代の逆流かのように思えたが、外観上にも変化が見られ、前面上別部中央と側面に種別・行先表示器を設置した。側面の方向幕は京王5000系後期車に続き2形式目で、当時としては先進的な装備であった。その他、客用扉も窓ガラス支持用の黒Hゴムを廃したステンレス製(内部は無塗装)とした。

1972年3月まで、3次に分け3317 - 3350、3353 - 3356の38両新造した。厳密にいえば3300形は4次車までになるが、1次車の3301 - 3316と外観が大きく異なったため2次車の3317以降は総じて3300形2次車と呼称した。2次車以降、最初に落成したのは1969年12月の3317 - 3320、3331 - 3332の6両で、3331 - 3332は半ユニットで落成した。その後は1970年(昭和45年)12月に3321 - 3330、1971年(昭和46年)2月に3333 - 3336、同年9月に3337 - 3340、3345 - 3350、1972年(昭和47年)2月に3341 - 3344、同年3月に3353 - 3356の順で落成した。3325 - 3328は室内天井を試験的に白デコラ貼りにした(他車は白塗装仕上げ)。

2次車の駆動装置、主電動機、台車の組み合わせは下記のとおり。

  • 3317 - 3324、3335 - 3350:WNドライブ、三菱電機製MB-3097-C2主電動機、住友金属工業製FS-329D台車
  • 3325 - 3334、3353 - 3356:TD平行カルダン駆動方式、東洋電機製造製TDK-816-A1主電動機、汽車製造製KS-131台車

なお、3337 - 3340は更新時より三菱電機製MB-3097-C3主電動機に換装した(MB-3097-C3主電動機はMB-3097-C2主電動機のマイナーチェンジ型で共有可能)。

また、本形式はツートンカラーの赤電塗装(モーンアイボリーとファイアーオレンジに銀縁のミスティラベンダー帯)で落成した最後の形式となった。

冷房化・更新前の動向や改造など編集

1次車は、同スタイルの3200形6M車と同形式かのように扱われることも多く、混結で6両編成組むこともあった。

2次車は、1970年代半ば以降は他形式との混結はせず、基本 2次車のみで4・6・8両で使用した。 デビューから日が浅かった1970年までは初代3000形 - 3100形1次車のコイルバネ台車車と混結することもあった。又、2次車がデビューした直後の1970年に空気バネ台車の1次車と2次車を混結した実績もある。方向幕搭載車と非搭載車を混結した場合、搭載車の方向幕は使用不可で予備用行き先板を使用せざる得なかったこともあり、以降混結は行わなくなった。

1980年8月から1981年12月にかけて、車体塗装をファイアーオレンジベースにモーンアイボリー帯の新赤電塗装への変更した。特筆する点で、2次車は3340編成を皮切に1981年1月より開始し、赤電3000系の塗装変更開始から約1年経った頃に3300形方向幕搭載車の塗装変更を開始した。

2次車は塗装変更直後の1981年から1982年にかけて、方向幕を白地ベースのものから青地ベースのものに変更した。同作業は3150形方向幕搭載車や3500形でも1980年より行ったが、3300形に関しては一足遅く変更した。3324編成と3328編成は塗装変更と同時に交換し、他は塗装変更後に交換しており、3150形で存在した赤電ツートン塗装時代に青地後方向幕という組み合わせのは後述のリバイバルカラー以外皆無だった。

冷房化工事編集

 
冷房改造後の3328

京成は1984年(昭和59年)春時点で関東地方の大手私鉄で最も冷房化率が低かったため[注釈 1]、押上線荒川橋梁の強度向上が完了した1983年(昭和58年)春以降、3150形の更新時に冷房化工事を実施することになり、既存車への冷房装置搭載により冷房化率を上げることに努めた。しかし、更新時の冷房化工事のみでは相当の時間が掛かるといった判断から、更新とは別に冷房化単独工事も実施することになった。工事は1次車、2次車と時期を分けて行った。

冷房化単独工事対象車の第一陣として、非冷房車で最も車齢の浅い本形式の2次車が選定された。1984年6月から1985年3月までに行った車両は東急車輛で施工している。この当時、本形式は10年以内に更新を開始する計画もあったため、工事は冷房化以外ほとんど行わず、外観スタイルも変化していない。主な改造は以下のとおり。

  • 各車のベンチレーターを撤去し、分散式の東芝製RPU-3041冷房装置を搭載した。
  • 冷房化に伴いMGを5.5kVAのCLG-319から75kVAのCLG-355-B1に交換した。
  • 室内天井のファンデリアはすべて撤去し、冷房吹出口と東芝製首振り扇風機を新たに搭載した。なお扇風機は3150形は乗務員室後部にも設置されていたが本形式(以降や3200形、3100形、3050形)では省略された。それに伴い室内天井の蛍光灯から内側に光沢白デコラが貼付された。

東急車輛で冷房化した2次車は以下のとおり。冷房化履歴を以下で示す。

  • 1984年6月:3345 - 3350
  • 1984年7月:3331 - 3332、3341 - 3344
  • 1985年1月:3353 - 3356
  • 1985年3月:3325 - 3330

東急車輌では、6両単位主でも改造を行った。

1985年4月、冷房化済だった3342・3343の室内送風機を扇風機から関西地区の私鉄で使用例の多いローリーファン(東芝製)に変更した。これは試験的なもので、耐久性や冷房使用時の室内の冷気の流動調査を行った。結局ローリーファンは他車には採用されず、この2両も翌1986年7月に元の首振り扇風機に戻した。

1985年(昭和60年)4月以降、冷房化単独工事は大榮車輌で実施することになり、入出場も車両番号順の4両単位になった[注釈 2]。第1陣として1985年6月に3333 - 3336で施行した。内容は東急車輛で行った車両とほとんど変化はなかったが、扇風機台座が鋼製白塗装からアルミ製無塗装になった。扇風機軸に関しては同社で行った車両に関しても後述の更新時にアルミ製に変更された。続いて、同1985年7月に3321 - 3324を施工し1985年シーズン夏期の時点で2次車の非冷房車は3320編成と3340編成4両2本のみになった。翌1986年(昭和61年)2月に3317 - 3320、同年4月に3337 - 3340といった順で施工し、2次車の冷房化工事が完了。同時に方向幕付きの非冷房車は消滅した。大榮車輛で冷房化した2次車は以下のとおり。冷房化履歴を以下で示す。

  • 1985年6月:3333 - 3336
  • 1985年7月:3321 - 3324
  • 1986年2月:3317 - 3320
  • 1986年4月:3337 - 3340

1986年(昭和61年)6月以降、3309 - 3312を皮切りに1次車の冷房化工事を大榮車輛にて行った。内容は2次車と同様に原形スタイルのまま冷房装置を搭載したため、行先表示器は設置せず、行先方向板使用の冷房車となった。同年7月に3313 - 3316が施工された。この編成は試験的にアルミ製塗装仕上げ客用扉の窓ガラス支持方式をHゴム押さえから金属押さえに変更したが他編成には及ばず、後述の更新時に全車ステンレス製扉に交換した。続いて、3305 - 3308を翌1987年(昭和62年)3月に、3301 - 3304を同年5月に施工し、全車の冷房化が完了した。1次車の冷房化履歴を以下で示す。全車大榮車輛にて施工された。

  • 1986年6月:3309 - 3312
  • 1985年7月:3313 - 3316
  • 1987年3月:3305 - 3308
  • 1987年5月:3301 - 3304

特筆する点として、3309 - 3310・3311 - 3312・3325 - 3326ユニットは冷房化時から更新までの間、試験的に主電動機を加速性のよい東洋製TDK-816-Bに換装し(台車は交換せず)、独特な乗り心地で親しまれた。この時期は姿を見なくてもこれらの編成が来たとわかったが、更新時に3200形6M車東洋車標準のTDK-816-A1に交換した。その後、 東洋製TDK-TDK-816-Bの主電動機は、更新後の3200形6M車東洋車で1989年9月から1992年11月に3221 - 3222、1991年11月から1992年11月に3231 - 3232でも試用したが、量産化には至らなかった。

1次車への種別・行先表示器の設置編集

1次車は種別・行先表示器なしの冷房車として使用されていたが、夜間や地下区間で種別・行先が見づらいなどの問題があった。このため、同グループ終了直後の1987年7月から冷房化単独工事を開始した3100形は種別・行先表示器を搭載した。

1987年夏時点では、進行中だった3200形の更新終了後はAE形の更新が完了次第、1次車の更新を開始する予定だった[注釈 3]。AE形の更新には5年前後の期間がかかると見込まれたことから、先行して3300形に種別・行先表示器を搭載することを決定し、同年10月の3301 - 3308を皮切りに実施された。内容は以下のとおり。

  • 3150形・3200形更新車および3100形冷房化工事車と同様に前面上部中央に40コマタイプの行先表示器を、側面に種別・行先表示器をそれぞれ搭載した。
  • 前面貫通扉を種別表示器付きのステンレス製扉に交換した。3100形と同様に貫通扉で運転席側のみを仕切る方式のため、幕部が凹凸のあるタイプになった。

冷房化を伴わない外観上の改造は1982年末まで行っていた3100形の更新以来5年ぶりで、同年11月に3309 - 3312に、翌1988年7月に3313 - 3316に施行して完了した。

1次車は冷房化から更新(後述)までの時期が短く、その間に種別・行先表示器工事が入ったため、1980年代後半は短期間で外観変化を繰り返していた。さらに、更新後4 - 5年で塗装変更(後述)を行ったため、1985年から1995年の11年間で4回も外観を変える結果となった。

更新工事編集

1989年(平成元年)6月以降に出場した3301 - 3302ユニットを皮切に車体更新を大榮車輛にて施工した。 主な内容は3200形に準じたもので、1次車・2次車共、基本スタイルは統一化した。

外観は前面大型方向幕搭載、前照灯と尾灯を前面腰部左右横並びに配置し急行灯を前面上部左右に配置した。先頭車中間埋め込め時に乗務員室も区切れるよう手動種別幕付ステンレス製貫通扉に交換したほか側面窓をユニットサッシュ化した。側客用扉は製造時よりステンレス製扉だった2次車を含め新調したステンレス製の扉に交換した。車内も壁面はカスタード系クリームデコラに天井はパールホワイトデコラ、床面は更新前同色のグリーンに張り替え座席掛け面をステンレス製にする等、無塗装化した。車内の吊り革棒やスタンションポールは基本そのままだが、3337 - 3338ユニットをはじめ1990年8月以降に更新した車両は袖仕切ポールの形状を大型化した。足回り面では、3200形に引き続きC-1000空気圧縮機のモーターを交流化しAC-1000と変更した。3200形とは外観上、前面貫通扉の窓支持が3200形は黒Hゴムなのに対し3300形は金属押さえな点が異なる。また、室内荷棚支持の関係上  側面種別・行先幕の位置が異なりこちらは更新前より搭載。

足回りは、作用装置を変更し先頭車に3200形6M車のKDK86作用装置をマイナーチェンジしたKDK89作用装置を搭載、中間車は3300形2次車で採用したKDK69作用装置を搭載したため2次車に関してはそのまま継続使用。1次車の中間車に関してはKDK58作用装置から換装した。 先頭車は1989年8月に更新出場した3305以降は先頭台車をMになるよう先頭車の台車の振替を施工。最初に更新を行った3301・3304のみ台車の振替は更新後の1992年4月に施工したがこの車両のみ更新時より先頭側と中間側ともに点検蓋を配した。また、戸締選択装置(待避駅等で3扉のうち中央扉のみ開)や電子フォン音警笛を更新時より搭載したが、前者は1990年6月までに3300形未更新車を含め京成の冷房車全車に搭載した。

更新にて3300形は1次車と2次車の外観上差異は台車以外なくなり、1次車も2次車と同形式の3300形という型にはまった。 1次車と2次車は分け更新を施工し1次車は16両のみのため4両基本編成のまま、2次車38両は6両固定編成を主とした内容で施工し、先頭車6両を中間電動車化。いずれも2両単位で入出場した。

まず1次車は以下の順序で更新

  • 3301 - 3302:1989年6月
  • 3303 - 3304:1989年8月
  • 3305 - 3306:1989年8月
  • 3307 - 3308:1989年9月
  • 3309 - 3310:1989年11月
  • 3311 - 3312:1989年12月
  • 3313 - 3314:1990年4月
  • 3315 - 3316:1990年3月

最初期に出場した3301 - 3302ユニットは3303 - 3304ユニットが出場するまでの間、3200形6M車6両固定 3248編成の成田方に混結し以下の暫定8両編成を組んだ(番号前後の⚫︎は先頭車)。更新後、3300形1次車と3200形との混結は最初で最期だった。

←上野
⚫︎3248-3247-3246-3245-3278-3277●-3302-3301●

1990年(平成2年)4月、3316編成の3313 - 3316はクロスシート試作車として、更新後 デビューした。2ユニット4両出場した1990年4月29日より3309 - 3310ユニットを成田方に連結した6両で営業運転開始した。クロスシートの配置は1両毎異なり3313がオールククロスシート、3316が車端部ロングシートで扉間クロスシート、3314と3315は扉間にロングシートとクロスシートを配した配置。

1990年(平成2年)2月、3356編成3353 - 3354ユニットを皮切りに2次車の更新を開始した。6両編成化を主に、1990年9月に出場した3340を皮切りに3317 - 3328は成田方、3329 - 3340は上野方の先頭車を中間化し6組の中間電動車が生まれた。更新前に冷房化しMGも新調したことから3200形6M車のようなSIV搭載やパンタグラフ2個搭載等は行わなかったが、中間化した車両に対しては外観・室内ともに連続性をもたせ旧先頭車にあった室内冷房ダクトも廃しデコラ上に扇風機を新設した。 1992年(平成4年)4月  3331 - 3332ユニットの出場を最後に2次車も更新完了。1976年(昭和51年)10月出場した初代3050形3051 - 3052以来15年6ヶ月かけて行ってきた3000系列赤電の更新が完了した。3300形は3000系列赤電最後の形式で、同形式更新進行時より初期グループに該当した初代3000形・初代3050形の廃車も始まっていた。 2次車の更新が完了した1992年4月末時点の編成は以下のとおりで、6両固定編成に混じって1本のみ中間に先頭車を挟んだ8両編成が存在していた。

←上野
⚫︎3324-3323-3322-3321-3330-3329⚫︎
⚫︎3320-3319-3318-3317-3342-3341⚫︎
⚫︎3328-3327-3326-3325-3350-3349⚫︎
⚫︎3356-3355-3332-3331-3354-3353⚫︎
⚫︎3344-3343-3336-3335-3334-3333⚫︎
⚫︎3348-3347-3346-3345⚫︎-3340-3339-3338-3337⚫︎

このグループは3200形6M車のように半永久的な定着した固定編成にはならず、定期検査時やその他の事情で頻繁に編成替えを行っていた。定期検査入出場前後などに3341 - 3348や3353 - 3356などが4両編成になったり、定期検査とは関係ない時期でも8両固定編成が組成され、中間に先頭車を挟んだ6両編成が組成されたこともあった。だが、一応は以上が更新終了時の定着編成だった。更新順序は以下。

  • 3353 - 3354:1990年2月
  • 3355 - 3356:1989年6月
  • 3337 - 3338:1990年8月
  • 3339 - 3340:1990年9月
  • 3347 - 3348:1990年11月
  • 3345 - 3346:1990年12月
  • 3349 - 3350:1991年2月
  • 3327 - 3328:1991年3月
  • 3325 - 3326:1991年4月
  • 3323 - 3324:1991年5月
  • 3321 - 3322:1991年7月
  • 3333 - 3334:1991年8月
  • 3335 - 3336:1991年9月
  • 3319 - 3320:1991年10月
  • 3317 - 3318:1991年12月
  • 3341 - 3342:1991年12月
  • 3343 - 3344:1992年2月
  • 3329 - 3330:1992年3月
  • 3331 - 3332:1992年4月

特筆する点で、3300形2次車は更新開始時と更新終了間近に更新車・未更新車の混結を行った。1990年2月、2次車最初期に出場した3353 - 3354は更新済の1次車と混結不可だったため、未更新車2両3355 - 3356という異色の基本4両編成を組み運用に入った。3353 - 3354出場後は1次車でクロスシート試作車となる3313 - 3316が更新入場中でしばらくその編成で運用を続けた。1990年4月中旬に3355 - 3356を更新入場した。その際、2次車で唯一更新車ユニットであった33353 - 3354は3344編成の成田空港方に連結し、未更新車+更新車の混結6両編成を組んだ。1990年6月中旬に3356-3355が出場してからは更新車のみの基本4両で運用開始した。1991年12月時点で3332編成 (3332 - 3329) が未更新車で最後まで残っていたが、3330-3329ユニットが翌1992年1月上旬に更新入場した。唯一未更新車であった3332-3331ユニットは、同年2月中旬の更新入場までの間に更新車6両の中間に挟まれて、以下の編成を組成した。

←上野 
●3356-3355-●3332-3331-3336-3335-3334-3333●

更新後、2008年までの動向編集

前項で編成を記載したとおり、更新完了した1992年4月以降、2次車は6両固定編成5本と8両編成1本体制で使用していた。うち3337 - 3340は1990年12月以降、3353 - 3356と8両組み、その後 1991年9月以降は3345 - 3348と基本8両を組んだ編成で定着し当時のダイヤで優等専用で使用した。

2両単位で分割可能なことから中間MMユニットを外し車号順不同な4両編成を組むこともあった。例とし3318 - 3317ユニットを外し3320 - 3319+3342 - 3341等。

1次車はクロスシート試作車の3316編成の3313が先頭に出ないような編成を組成。1990年4月末時点で全車の更新は完了し、以後6両編成2本、4両編成1本体制で使用するのが基本だったが多かった。なお、3316編成を含む編成は京急乗り入れの対象から外され、かつ1991年8月7日のダイヤ修正以降は都営地下鉄浅草線乗り入れの対象からも外され、こちらは本線・千葉線6両運用や本線特急などに限定し使用した。3316編成がクロスシート試作車として営業開始した1990年4月29日時点で1次車の更新は完了し以下の定着編成を組んだ。3304編成のみが4両となり、検査時抜ける車両があった場合は3304編成で6両を穴埋めした。なお、1990年5月3日から6日の間はクロスシート試作車3316の編成に3312-3311ユニットを連結し暫定的8両編成で運用に就いた。

←上野
⚫︎3312-3311-⚫︎3308-3307-3306-3305⚫︎
⚫︎3316-3315-3314-3313⚫︎-3310-3309⚫︎
⚫︎3304-3303-3302-3301⚫︎

1次車も更新から2年の歳月が経ち順次重要部検査に入ることになり、出場してからも以上の編成に戻ることが少なく1992年3月以降は以下の編成で定着した。この際も3304編成のみが4両となり、検査時抜ける車両があった場合は3304編成で6両編成を穴埋めした。

←上野
3316-3315-3314-3313-3306-3305
3308-3307-3312-3311-3310-3309
3304-3303-3302-3301

3316編成がシート変更のため入場した1995年(平成7年)1月まで以上の編成は定着していた。クロスシート試作車の時代、3313は先頭に立つことはなく、更新顔(ファイアオレンジ塗装の3313)で乗務を営業時行ったことはない。

1991年以降、3300形は更新して間もなかったことや先頭がM台車だったため京急乗り入れ6両運用では優先して使用していた。

1992年3月より、一部の車両除き除き上野・成田空港の行先のみ英字入となった方向幕に交換した。

1993年(平成5年)8月より3319 - 3322(当時、暫定的に3320-3319-3322-3321と組成していた)を皮切りにファイヤーオレンジ塗装から現行標準色への塗装変更を開始し、1995年(平成7年)4月に完了。

塗装変更完了後、1998年まで、2次車の6両固定編成は以下の編成で定着していた。3350-3349は成田空港方の余剰ユニットとなり、6両固定編成の成田空港方に連結した8両編成を組成した。また、3349 - 3350を数ヶ月単位で休車にすることもあった。ここへ来て3337 - 3340は6連組むのが定着化した。

←上野
⚫︎3324-3323-3322-3321-3342-3341⚫︎
⚫︎3344-3343-3336-3335-3334-3333⚫︎
⚫︎3328-3327-3326-3325-3346-3345⚫︎
⚫︎3348-3347-3340-3339-3338-3337⚫︎
⚫︎3320-3319-3318-3317-3354-3353⚫︎
⚫︎3356-3355-3332-3331-3330-3329⚫︎
3350-3349⚫︎

3308-3307は1993年12月の塗装変更を兼ねた全般検査出場時より主電動機を3500形で使用している東洋製TDK-8531-Aに換装した(台車は交換せず)。これは3500形の更新に先立ち先頭車先頭側M台車にTDK-8531-Aを使用した際の性能を試みた。1998年1月にMB-3097-C2に戻した。

3316編成は1995年(平成7年)4月に塗装変更と同時にロングシートに戻し、硬調のオレンジ色系模様入個別シートを試用した。以後3700形3758 - 3818編成や3500形更新車でも近似の同色の個別シートを採用したが、後述のとおり2001年に再改造した。時代の流れから硬調のオレンジ色系模様入個別シートは現在、2007年以降は京成車と北総車で使用せず試験開始から12年で消滅した。

3316編成をロングシート化した1995年4月以降、1次車は、4両単独編成のほか4+4の8両編成。もしくは6両編成2本組む等、定着編成は持たず頻度で編成替を行った。3316編成の3313も更新後初めて先頭に出るようになった。

1998年1月、全般検査出場した3325 - 3326の主電動機をTDK816-A1からTDK816-A01に換装した。3300形で同主電動機を採用したのはこの時期が初。

1998年11月18日のダイヤ改正以降、3000系赤電シリーズは8両組まれた場合も京急乗り入れ運用の対象から外された。よって更新後 最長25年活躍した3300形も京急に乗り入れ可能だった時期は最長でも7年半だった。都営地下鉄浅草線乗り入れは6両編成が消滅した2008年3月まで行われた。なお、北総にリースした赤電は、2015年3月の全廃時まで都営地下鉄浅草線や京急線に定期運用で乗り入れた。

1999年9月以降、6両固定編成の3000系赤電は、原則的に編成単位で入場することになり 2次車は下記の6両固定編成で定着した。よって6両固定編成単位での編成替は2003年の事故廃車発生時まで行なってない。3354-3353は成田空港方の余剰ユニットとなり、6両固定編成の成田空港方に連結した8両編成を組成したり場合によっては休車にしたりした。以下も上野方先頭車で編成表記を行う。

←上野
⚫︎3320-3319-3318-3317-3342-3341⚫︎
⚫︎3324-3323-3322-3321-3346-3345⚫︎
⚫︎3328-3327-3326-3325-3350-3349⚫︎
⚫︎3356-3355-3332-3331-3330-3329⚫︎
⚫︎3344-3343-3336-3335-3334-3333⚫︎
⚫︎3348-3347-3340-3339-3338-3337⚫︎
3354-3353⚫︎

この時期3600形も8両編成化完成し、3400形や3700形合わせ8両固定編成は20本以上になった。よって3000系赤電の8両編成は2両ユニットある3300形2次車以外は、特例以外組まれなくなり3300形1次車も1998年11月に3312編成+3316編成が組まれたのを最後に京成在籍時は8両を組んでいない。

1次車はしばらくは6両編成2本組んだり4両編成のみで使用したりする等編成替を頻度で行ってきたが、2000年6月より以下編成で定着した。

←上野
⚫︎3308-3307-⚫︎3304-3303-3302-3301⚫︎
⚫︎3312-3311-3310-3309⚫︎-3306-3305⚫︎
⚫︎3316-3315-3314-3313⚫︎

1997年1月から2001年3月にかけて全面種別幕を細ゴシック文字併用表記タイプのものに変更した。

2001年3月には、京成グループのCI導入に伴い全車両の側面にK'SEI GROUPのロゴを貼付した。なお、従来の筆記字体のKeiseiロゴを表記したプレートは残している。

3316編成は2001年8月にラベンダー色系柄入りのバケットシートに再改造され、袖仕切りが新設された。こちらは翌2002年新製の3700形3868編成や新3000形などでも近似タイプのものが採用された。同編成は1990年の更新以降はシート試験車として定着しつつあった。

2002年8月、3316編成で3500形更新車同様の全コマ小文字併用英字表記・青地タイプ方向幕に変更。2008年3月までに在籍車全車で全コマ小文字併用英字表記・青地タイプ方向幕に交換した。

2003年1月23日に発生した京成大久保駅 - 実籾駅間の踏切事故(後述)で3356編成の3329 - 3330が廃車になったのに伴い、3356編成は同年1月末から3月の間は3356 - 3353の4連を[注釈 4]、同年3月下旬以降は以下の編成を組成した。

←上野
⚫︎3356-3355-3332-3331-3354-3353⚫︎

結果的に2次車は6両編成6本単位になり、8両編成は2007年4月に数日間組んだ以外は6両のみで使用した。結果、3000系シリーズ赤電はこの時期より8両編成運用から一部の例外期以外は脱退した。

3312編成が重要部検査入場した2003年3月以降は1次車の定着編成が変わり以下編成で定着し2006年3月まで組まれた。

←上野
⚫︎3308-3307-⚫︎3304-3303-3302-3301⚫︎
⚫︎3316-3315-3314-3313⚫︎-3306-3305⚫︎
⚫︎3312-3311-3310-3309⚫︎

2004年4月から6月に室内蛍光灯を昼白色タイプから飛散防止型(白色タイプ)に全車で変更し以後このタイプを使用するようになった。

2006年(平成18年)3月、3308編成の3305と3316編成の3316にC-ATS対応機器を搭載し、同年4月以降他車に順次搭載。

2006年4月1日付での直後3308編成と3316編成を北総にリースし北総7260形7261 - 7264+7265 - 7268と改番。北総N運用に入り都営地下鉄浅草線を経て京急線羽田空港に乗り入れるようになった。

3304編成と3312編成は3304編成のラストランを除き廃車時まで4両で使用した。

2006年7月、全般検査出場した3312編成 3310-3309ユニットの主電動機にて3200形6M車の廃車部品を再用することによりTDK-816-A1からTDK-816-A01に変更した。

2007年11月、3200形は6M車3261 - 3264を最後に全廃になり3300形は最古形式になった。翌2008年4月以降、3300形は1・2次車共、運用率がかなり低い4両運用で使用することになった。6両固定編成の2次車は、更新時に誕生した中間電動ユニットを廃車し4両化した。

2007年11月、3317 - 3318・3331 - 3332を廃車にし、3320編成と3356編成を4両化した。その後 2008年3月に3321 - 3322・3325 - 3326・3335 - 3336・3339 - 3340を廃車にし3324編成・3328編成・3344編成・3348編成を4両化。1次車の3304編成と3312編成とともに3300形は4両編成のみとなった。その時点で3300形は4両編成8本計32両のみになり、2次車は3356編成以外順不同となった。編成は以下の通り。

←上野
⚫︎3304-3303-3302-3301⚫︎
⚫︎3312-3311-3310-3309⚫︎
⚫︎3320-3319-3342-3341⚫︎
⚫︎3344-3343-3333-3334⚫︎
⚫︎3324-3323-3346-3345⚫︎
⚫︎3348-3347-3338-3337⚫︎
⚫︎3328-3327-3350-3349
⚫︎3353-3354-3355-3356⚫︎

以上の廃車で、京成在籍車で1960年代に製造した車両は3304編成、3312編成(1968年11月製造)と3319 - 3320(1969年12月製造)の10両のみとなった。2007年11月に3200形が全廃となった時点で、3300形は唯一の3000系赤電となった。

2008年以降、全廃時までの動向編集

前項で述べたように2008年(平成20年)4月時点で3300形は4両編成8本の計32両のみ在籍となった。

2008年度から2011年度に関しては2010年(平成22年)7月17日の成田スカイアクセス線開業に伴い、新造車を大量導入した。そのため既存車の代替はなく、3300形は2008年(平成20年)4月から2013年(平成25年)1月まで、廃車は発生しなかった。

2008年8月1日から9月17日まで、映画『男はつらいよ』シリーズ開始40周年を記念して3320編成が葛飾観光PRラッピング電車の第2弾となり、実写の車寅次郎などのラッピングが貼付された。

2009年(平成21年)6月30日より3356編成が青電塗装となり、同日に会社創立100周年記念臨時列車(特急金町行)として運転された。同年8月に3324編成が赤電塗装に、同年9月に3312編成がファイアーオレンジ塗装に変更しリバイバルカラー編成として2013年の廃車時まで運用した。

2010年4月から6月にかけて、各種別カラーを背景に、白文字とした種別幕への交換を実施している[1]

2010年(平成22年)7月5日より、葛飾区観光PRラッピングとして3320編成[2]高井研一郎のイラストによる車寅次郎などが描かれた『男はつらいよ』ラッピング、3348編成[2]両津勘吉などが描かれた『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のラッピングが貼付されている[3]。両編成共廃車時までラッピング車として金町線主体で運用した。

2012年度から新3000形の新造が再開され、『男はつらいよ』の3320編成が2013年2月15日に営業運転を終了し、同年2月18日には青電リバイバルカラーの3356編成が営業運転を終了した[4]。リバイバルカラー編成は同年3月までの引退が発表され[5]、同年3月20日限りで赤電リバイバルカラーの3324編成が引退した[6]。追って、同年3月24日限りでファイアオレンジリバイバルカラーの3312編成が引退した。それにて、京成在籍の3300形は4両編成4本16両のみ残った。北総リース車の7260形と合わせても24両のみまで減った。

2013年4月、3344編成3334-3333ユニットの主電動機にて廃車部品を再用することによりTDK-816-A1からTDK-816-A01に変更した。

2014年3月上旬に3328編成と『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の3348編成が廃車になり、京成在籍の3300形は3304編成と3344編成の4両編成2本8両のみになり、北総リース車の7260形と合わせ16両のみと秒読みになった。

2015年2月28日、引退を記念し最後まで京成車として残っていた3304編成と3344編成を4+4の8両編成組み[注釈 5]臨時特急「成田山号」として京成本線にて3300形さよなら運転を実施。編成は以下。8両は2015年3月1日付で廃車になった[7]

←上野

⚫︎3344-3343-3334-3333⚫︎-⚫︎3304-3303-3302-3301⚫︎

3300形コイルバネ台車車の2次車と空気バネ台車1次車の混結は更新後、最初で最後。2015年1月中旬にさようなら運転に向け8両で試運転も行った。これは3100形更新後に行っていたが1987年(昭和62年)4月以降京成では営業用で行わなくなった。よって、このさよなら運転時の混結は28年振りの珍事でもあった。

後述のとおり北総リース車の7260形は3300形引退後も残ったが、こちらも2015年3月22日のさよなら運転を最後に運用を終了し[8]、3000系赤電の営業運転はすべて終了となった。

2008年3月以降在籍した3300形のうち。3328編成以外はイベント運用やリバイバルカラー、ラッピングなどのいずれかを行っていた。

リースにより在籍した北総7260形編集

2006年(平成18年)3月末に京成で運用離脱した3300形1次車3308編成の3305 - 3308と3316編成の3313 - 3316は、7250形(京成3200形のリース車両)の代替として、北総鉄道へリースされることになった。これにより形式を7261 - 7264(旧3305 - 3308)・7265 - 7268(旧3313 - 3316)へ改番し、7260形となった。リース当時は3200形6M車と3300形1次車は大差ないため7250形と称していたが、トップナンバーが廃車になったことから後に7260形と称するようになった。 主な改造点は以下の通りである。

  • 塗装ベース色はアクティブシルバーベースのまま、帯色でヒューマンレッド箇所をにブルー帯に変更(フューチャーブルー帯箇所はそのまま)した北総カラーに変更。
  • 改番による車号を変更し扉横にステッカー配置、旧車号は撤去。
  • 社名ロゴとし北総鉄道のステッカー配置、旧社名ロゴは撤去。

その他、外観形状や車内内装も変化なく、クロスシート試作車だった3316編成を種車とした7265 - 7268の車内のシートも特異なままだった。

リース期間中の小変化として、2009年2月に側面の方向幕を黒地のタイプに変更、2012年10月に前面方向幕も黒地のタイプに変更した。また、2009年より室内蛍光灯は他の北総車同様日昼白色を使用するようになり、京成在籍の3300形より多少色温度が変わった。なお、京成在籍幕仕様車で変更した前面種別幕交換は7260形に対しては行わなかった。

北総鉄道は2期線開業した1991年3月より京急から旧1000形16両を譲渡。7150形は経年車のため老朽化は早く1995年9月に京成から3150形8両を北総7050形としてリースし7150形8両を廃車。さらに1998年1月末に3150形8両を追加リースすることにより7150形は全廃に。以後、北総所有車として16両のリース枠を設け、当面は3150形を検査期限に余裕のある車両と交換しながらリースした(交換時も7050形の車号に変更し)。

2003年1月末より8両はVVVF車の3700形3808編成を北総7300形7800番台として長期リース。片割れ8両は経年車のリースとし2003年12月に3200形6M車を7250形最初期車としてリースした。この7250形最初期車より車齢や更新履歴の若い空気バネ台車車が3300形に余剰が生じたことから7250形最初期車と代替する形で7260形としてリースした。

性能も種車から変わらず7261 - 7264は住友製台車・WNカルダン・三菱製MB-3097-C2主電動機、7265 - 7268は汽車会社製台車・TDカルダン・東洋製TDK-816-A1主電動機であった。そのため、リース開始時より千葉ニュータウン鉄道所有車含む北総鉄道管理車で唯一の非回生車・抵抗制御車として在籍した。なお7264・7265はC-ATS非搭載だったため先頭に出ることはなかった。

脚注編集

[ヘルプ]

注釈編集

  1. ^ 日本民営鉄道協会が1980年に発表した大手私鉄の冷房化率は首位・阪神(89.3%)、2位・西武(65.8%)。京成は最下位の32.3%。14社平均は56.7%。
  2. ^ 後に工事を行う本形式1次車や3100形・3050形も同社で4両単位で行っている。
  3. ^ 1988年になって、AE形は次世代車(AE100形)に置き換えることが決定したため、更新工事は見送られることになった。
  4. ^ 事故車の隣接ユニットであった3332 - 3331が修繕中のため。
  5. ^ ←上野 3344-3343-3334-3333-3304-3303-3302-3301

出典編集

  1. ^ 京成電鉄 種別幕交換車が続々登場」 - railf.jp(交友社鉄道ファン』)、2010年7月11日
  2. ^ a b 京成電鉄に葛飾区観光PRラッピング電車登場」 - railf.jp(交友社『鉄道ファン』)、2010年7月7日
  3. ^ 京成電車に「寅さん」と「両さん」が登場しました! (PDF) - 京成電鉄ニュースリリース、2010年7月5日
  4. ^ 京成3300形青電塗装編成の営業運転終了」 - railf.jp(交友社『鉄道ファン』)、2013年2月19日
  5. ^ 3月20日(水・祝)臨時列車「さよならリバイバルカラー赤電」運転 成田駅でさよならイベントを開催 (PDF) -京成電鉄ニュースリリース、2013年3月12日
  6. ^ 3324編成(赤電)の営業終了に伴い、運行予定表を掲出します (PDF) -京成電鉄ニュースリリース、2013年3月13日
  7. ^ http://www.keisei.co.jp/keisei/kouhou/news/150302_01.pdf
  8. ^ 7260形さよなら運転を実施しました”. 北総鉄道公式サイト (2015年3月22日). 2015年4月18日閲覧。