京極高寛

江戸時代中期の大名、豊岡藩第4代藩主

京極 高寛(きょうごく たかのり)は、但馬国豊岡藩の第4代藩主。豊岡藩京極家6代。

 
京極高寛
時代 江戸時代中期
生誕 享保2年10月5日1717年11月7日
死没 享保11年9月12日1726年10月7日
改名 土肥之助(幼名)、高寛
戒名 源通院殿道円日照大童子
墓所 東京都台東区橋場の妙高寺
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
但馬豊岡藩
氏族 京極氏
父母 京極高栄:中村氏
兄弟 高寛高永
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略歴

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享保2年(1717年)10月5日、第3代藩主・京極高栄の長男として豊岡で生まれる。母が側室であったため、父よりはじめ黒田姓を名乗らせられ、別家を継ぐこととなるはずであったが、享保6年(1721年)に京極姓に復して世嗣に指名された。同年の父の死去により家督を継いだ。

しかし、享保11年(1726年)9月12日に死去した。享年10。継嗣がなかったため、豊岡藩京極家は一時的に改易されたが、減知の上で弟の高永に再興が許された。