人民国家党(じんみんこっかとう、People's National Party, PNP)は、ジャマイカ民主社会主義政党1938年ノーマン・マンリーによって結成された、英領カリブ圏諸国では最古の政党である。中道右派のジャマイカ労働党と並ぶ、ジャマイカの二大政党のひとつ。社会主義インターナショナル加盟。

ジャマイカの旗 ジャマイカ政党
人民国家党
People's National Party
ロゴ
党首 マーク・ゴールディング
議長 アンジェラ・ブラウン=バーク
成立年月日 1938年
本部所在地 ジャマイカの旗 ジャマイカキングストン
下院
14 / 63   (22%)
(2020年9月3日)
政治的思想・立場 中道左派[1]
民主社会主義[2]
社会民主主義[3]
国際組織 社会主義インターナショナル
ラテンアメリカ・カリブ政党常設会議
公式サイト The People's National Party – Welcome
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党史 編集

人民国家党は1944年、ジャマイカで最初の普通選挙で、32議席中4議席しか獲得できなかった。1955年に与党になり、1962年の独立まで与党の位置を保ち続けた。独立後、ライバルのジャマイカ労働党に敗北。

10年後、ノーマン・マンリーの息子、マイケル・マンリーが党首になり、与党に返り咲く。民主社会主義と第三世界との緊密な外交政策を掲げ、近隣のキューバとの友好関係を拡大した。

1980年、エドワード・シアガが率いるジャマイカ労働党に圧倒的な敗北を喫する。この数年後、インフレ失業率の増加によって、キャンペーンは暴動のレベルまで達した。マンリーは1983年の選挙をボイコット、この後、人民国家党は5年以上も議会を欠席した。

1989年、マンリー党首の下、再び与党になる。1992年にマンリーは引退し、P.J.パターソンが党首となる。パターソンは、1993年、1997年、2002年の選挙において人民国家党を勝利に導き、ジャマイカの歴史の中で3期連続で勝利した最初の政治的リーダーとなる。1989年に与党に返り咲いてから、グローバリゼーションを利用する方針を掲げ、1970年代の社会主義のレトリックを捨てた。

2006年2月26日、ポーシャ・シンプソン=ミラーがパターソンの後任に選ばれ、人民国家党最初の女性党首と、ジャマイカ首相になった。

2007年9月3日に行われた選挙では、人民国家党は下院の60議席中27議席を獲得するにとどまり、ジャマイカ労働党に敗北した。

2011年12月29日に行われた選挙では、人民国家党は下院の63議席中42議席を獲得し、ジャマイカ労働党に勝利した。

党首 編集

近年の選挙結果 編集

党首 得票数 得票率 獲得議席数 選挙後の地位
1997年 パターソン 429,805票 56.2%
50 / 60
与党
2002年 パターソン 396,590票 52.1%
34 / 60
与党
2007年 シンプソン=ミラー 405,293票 49.6%
28 / 60
野党
2011年 シンプソン=ミラー 463,232票 53.3%
42 / 63
与党
2016年 シンプソン=ミラー 433,629票 49.1%
31 / 63
野党
2020年 フィリップス 304,372票 42.8%
15 / 63
野党

脚注 編集

  1. ^ ジャマイカ”. コトバンク. 百科事典マイペディア. 2019年10月29日閲覧。
  2. ^ 人民国家党(ジャマイカ) じんみんこっかとう(ジャマイカ) People's National Party”. コトバンク. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. 2019年10月29日閲覧。
  3. ^ Freedom House. Freedom in the World 2011: The Annual Survey of Political Rights and Civil Liberties. Rowman & Littlefield. pp. 342. ISBN 978-1-4422-0994-7. https://books.google.co.jp/books?id=c9Nk85VMo1QC&pg=PA342&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false 2019年10月29日閲覧。 

外部リンク 編集