仁井田 一郎(にいだ いちろう 1912年(明治45年) - 1975年(昭和50年))は栃木県足利郡御厨町(現足利市)町議会議員・実業家・農業技術研究家。栃木県のイチゴ栽培技術を確立し、同県を日本有数のイチゴ生産地に発展させた[1]

にいだ いちろう

仁井田 一郎
生誕 1912年
栃木県足利郡御厨町
(現:栃木県足利市
死没 1975年
国籍 日本の旗 日本
職業 御厨町町議会議員
実業家
農業技術研究家
著名な実績 栃木県におけるイチゴ栽培の普及
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経歴 編集

  • 1912年(明治45年) - 足利郡御厨町(現:足利市)に生まれる[1][2][3]。仁井田家は肥料商兼農家で、一郎は長男であった[1]
  • この間、太平洋戦争召集復員[1]
  • 1947年(昭和22年) - 御厨町議会議員に選出される[1][2]
    • このころからイチゴ栽培の重要性を提唱し、自らが中心となって技術の向上・市場の開拓に努めた[1]。先進地である神奈川県海老名市まで栃木から150 kmの道を自転車で走破し、教えを請うたというエピソードがある[1]
  • 1951年(昭和26年) - 御厨町議会議員を辞任して御厨町農協参事に就任[2]
  • 1970年(昭和45年) - 農業の振興へ寄与した功績を称えられ緑白綬有功章を受章[2]
  • 1975年(昭和50年) - 死去[2]。享年63

その他 編集

  • 1987年に仁井田一郎の庭内に「栃木県苺発祥地」の記念碑(栃木県知事渡辺文雄揮毫)が建立された[2]。なお、自家のイチゴ畑は妻と子供2人に任せていた[1]
  • サインを求められると「苺一筋」と書いていた[1]
  • 栃木県出身のお笑いコンビ・U字工事のネタになったことがある[1]。益子が「栃木県出身の有名人と言えばイチロー」とぼけ、福田が「イチロー愛知県出身」とつっこむと、益子が「栃木でイチローと言えばイチゴ栽培を広めた仁井田一郎」と返す、というもの[1]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 大村美香「イチローはペダルをこいだ 赤く華やかまるでアイドル 苺ひとすじの道(栃木県〜神奈川県)」朝日新聞2019年3月16日付朝刊、週末be6ページ
  2. ^ a b c d e f 仁井田一郎の略年表”. 栃木県教育委員会. 2019年11月7日閲覧。
  3. ^ 仁井田 一郎−栃木県のいちご栽培の功労者(足利市)−”. JAグループ栃木(栃木県農業協同組合中央会). 2019年11月7日閲覧。

文献 編集

  • 『最新栃木の農業』(地方・小出版流通センター 1995年)
  • 的場哲朗 著『とちぎ解剖学 生活の場を読み直す』(下野新聞社 1997年)

参考サイト 編集