仁木 義尹 (にき よしただ)は、南北朝時代の武将。
正平15年・延文5年(1360年)に仁木義長が政争に敗れて没落したあとも幕政に関与し、同年には、丹波と丹後の守護補佐された。正平16年・康安元年(1361年)細川清氏・楠木正義を中心とした南朝軍が京に乱入したが、これを破った[1]。正平23年・応安元年(1368年)、伊予国にて南朝方の河野通尭と戦うが敗れる[1]。