今泉盛泰

室町時代から戦国時代初期の武将

今泉 盛泰(いまいずみ もりやす)は室町時代から戦国時代初期の武将。今泉氏3代目当主。上三川城城主。

 
今泉 盛泰
時代 室町時代 - 戦国時代初期
生誕 不詳
死没 文明9年9月9日1477年10月15日
別名 上三川安芸守、四郎左衛門
戒名 道光
官位 安芸
主君 宇都宮等綱宇都宮明綱宇都宮正綱
氏族 今泉氏上三川氏横田氏宇都宮氏
父母 父:今泉盛朝
盛高、女子(君島茂胤の妻)
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概要

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1430年今泉盛朝の嫡男として誕生した。父が永享10年(1438年)に没すると幼くして上三川城城主となる。祖父の今泉元朝や曽祖父の上三川継俊の補佐を受けていた。

文明9年(1477年)、長尾景春を救援するために宇都宮正綱に従い、上野国白井に出陣したが、9月9日に討死した(川曲の戦い)。

参考文献

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  • 恩田浩孝『座禅院昌尊の生涯 日光山の終焉と上三川 今泉家』(随想舎、2015年)ISBN 978-4-88748-312-5