仙北新聞』(せんぽくしんぶん)は、宮城県大崎市(旧鳴子町)に存在した日刊の地方新聞1951年から2007年まで存続した。秋田県大仙市仙北新聞(せんぼくしんぶん、1946年創刊)とは関係ない。

概要 編集

A3判サイズ1枚(表裏の2ページ)の新聞で、黄色がかった紙に印刷していた。新年号のみブランケット判の増ページで発行していた。テレビ番組欄もあったが、記事が多いと掲載されない日もあった。

本社は鳴子町字車湯の鳴子警察署近くにあり、同市古川(旧古川市)七日町にも支局を置いていた。印刷も手掛けていた。

読者の大半は鳴子町内だった。取材エリアは大崎地方だったが、競合する大崎タイムスに押され、鳴子町以外の読者は少数だった。

沿革 編集

『仙北新聞』は、読売争議によって読売新聞を退社した大沼直志が、帰郷して創刊した[1]

2002年には、創刊50周年を記念し、写真集『写真で見る鳴子の今昔』を刊行した[2]

2007年1月1日付、14877号を最後に休刊(事実上の廃刊)となった[3]

脚注 編集

  1. ^ “(検証 昭和報道:112)占領下の新聞:8 ゼネスト失敗”. 朝日新聞・夕刊: p. 13. (2009年9月15日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  2. ^ “歴史や町並みしのぶ写真集 鳴子町の仙北新聞社”. 朝日新聞・朝刊・宮城: p. 34. (2002年5月29日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  3. ^ 仙北新聞”. 国立国会図書館. 2019年2月26日閲覧。

外部リンク 編集