伊達 村氏(だて むらうじ)は、江戸時代仙台藩一門第二席・亘理伊達家第10代当主。

 
伊達村氏
時代 江戸時代
生誕 明和2年10月15日1765年11月27日
死没 享和3年11月18日1803年12月31日
別名 兵力、安房
戒名 真諦院殿廓山本然大居士
墓所 大雄寺宮城県亘理郡亘理町
主君 伊達重村斉村周宗
仙台藩
氏族 伊達氏
父母 父:伊達村純、母:献樹院(白河村広の娘)、養父:村好
兄弟 村氏三沢村延室、美衛(古内広保室)
正室:古内広光の娘
子:宗賀
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生涯 編集

明和2年(1765年)10月15日、亘理伊達家第8代当主・伊達村純の子として生まれる。幼名は兵力

安永5年(1767年)1月3日、仙台大火で上屋敷を焼失。安永6年(1768年)3月31日、仙台城で元服し、藩主重村の偏諱を受けて、村氏と名乗る。[1]

明和4年(1767年)2月、病弱の父村純が隠居し、嫡男の兵力がまだ幼いことから村純の弟の村好が家督相続した。

安永2年(1773年)10月18日、叔父で養父の第9代当主・村好が「葛西川島事件」による藩政混乱の責めを負い隠居することとなり、9歳で家督を相続して亘理邑主となる。[1]

寛政8年(1796年)7月、藩主伊達斉村の急死により、生まれて6ヶ月の周宗が藩主となる。同年11月1日、幕府より、幼い藩主に代わり藩内の警護を藩主一門の村氏、涌谷伊達村常、登米伊達村幸が交代で行うよう命じられた。

享和3年(1803年)11月18日、死去。享年39。家督は嫡男宗賀が相続した。

参考文献 編集

  • 『宮城県通史』
  • 『仙台人名大辞書』
  • 『亘理町史』

脚注 編集

  1. ^ a b 亘理町史