伍 廷颺(ご ていよう)は、中華民国の軍人・政治家。新広西派(新桂系)に属し、黄紹竑の側近的存在と目される。展空

伍廷颺
Who's Who in China 4th ed. (1931)
プロフィール
出生: 1890年光緒16年)
死去: 不詳
出身地: 広西省梧州府容県
職業: 政治家・軍人
各種表記
繁体字 伍廷颺
簡体字 伍廷飏
拼音 Wŭ Tíngyáng
ラテン字 Wu T'ing-yang
和名表記: ご ていよう
発音転記: ウー ティンヤン
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事跡 編集

広西武備学堂を卒業し、国民革命軍第15軍第1師師長にまで昇進している。

1927年(民国16年)7月、伍廷颺は広西省政府委員に転じ、8月には同省建設庁庁長をつとめた。1929年民国18年)5月、黄紹竑の後任として暫時ながら広西省政府主席に任じられた。7月には中国国民党広西省党部執行委員となったが、まもなく黄紹竑とともに広西省を退出した。1931年(民国20年)2月に、黄紹竑が一時的に広西善後督弁に返り咲いた際にも、伍廷颺は広西善後会弁に任じられている。

1934年(民国23年)12月、黄紹竑が浙江省政府主席に任じられる。伍廷颺は、その翌年12月に同省政府委員兼建設庁長に任じられ、黄紹竑を再び補佐した。1936年(民国25年)12月、黄紹竑が湖北省政府主席に転出すると、伍廷颺は一時的に討逆軍第8路軍第4師師長に任じられ軍指揮官に復帰した。しかしまもなく、湖北省政府委員兼建設庁長として黄紹竑の下につく。

翌年12月、黄紹竑が浙江省政府主席に復帰すると、伍廷颺もやはり浙江省政府委員兼建設庁庁長となる。伍廷颺は1946年(民国35年)5月までその地位にあった。1948年(民国37年)、行憲国民大会代表に選出されている。

以後、伍廷颺の行方は不明である。

参考文献 編集

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
   中華民国国民政府
先代
黄紹竑
広西省政府主席
1929年5月 - 6月
次代
兪作柏