伯咄靺鞨(はくとつまっかつ)は、6世紀後半から中国東北部松花江流域を中心に、北は黒竜江中・下流域、東はウスリー川流域、南は朝鮮半島北部に勢力を振るったツングース系諸族である靺鞨の一派[1]粟末靺鞨の北方に居住しており、松花江の曲折部、現在の吉林省扶余市付近が中心と考えられている[2]扶余清代には「伯都訥」と呼ばれたが、「伯都訥」は「伯咄」と同音である[2]

勿吉七部(靺鞨七部)の民族系統。勿吉七部(靺鞨七部)の粟末靺鞨の系統が渤海国に発展し、勿吉七部(靺鞨七部)の黒水靺鞨の系統が金に発展している。

脚注 編集

  1. ^ 日本大百科全書靺鞨』 - コトバンク
  2. ^ a b 宮﨑正勝8,9世紀における東アジア文化圏と渤海 : 歴史教育における渤海の扱いについての一考察」『北海道教育大学紀要. 第一部. C教育科学編』第45巻第2号、北海道教育大学、1995年3月、73頁、doi:10.32150/00004379ISSN 0386-4499CRID 1390013352872911232