佐久間信崇

日本の江戸時代後期の武士。越後糸魚川藩3代藩主松平堅房六男で、江戸幕府旗本佐久間信尹婿養子。信重系佐久間氏6代当主

佐久間 信崇(さくま のぶたか)は、江戸時代後期の旗本越後国糸魚川藩主・松平堅房の六男。

 
佐久間信崇
時代 江戸時代後期
生誕 宝暦10年(1760年
死没 文政3年3月27日1820年5月9日
改名 豊信(初名)→信崇
別名 通称:傔次郎、五郎兵衛
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家斉
氏族 清崎松平家→佐久間氏
父母 父:松平堅房、母:星野氏の娘
養父:佐久間信尹
兄弟 諏訪頼古井上直孝信崇松平直紹
半井成英室、松平近周室、滝川元郷室、
ほか4男6女
養兄弟:釻吉、常之丞、丑五郎、信幸
佐久間信尹の娘
信敏
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経歴

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初めは豊信(とよのぶ)と名乗った。佐久間信尹の娘(義兄・佐久間信幸の未亡人)を娶り婿養子となった。

天明8年(1788年)6月21日、初めて将軍徳川家斉に拝謁。

寛政8年(1796年)12月27日、養父より家督(800石)を相続。

寛政重修諸家譜』編纂時の当主。寛政11年(1799年)時点での役職は小普請。屋敷は芝新堀新門前。