メインメニューを開く

松平 直紹(まつだいら なおつぐ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名越後国糸魚川藩4代藩主。官位従五位下日向守福井藩越前松平家分家6代。

 
松平直紹
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦9年11月12日1759年12月30日
死没 文化11年8月26日1814年10月9日
改名 豊太郎(幼名)→直紹
戒名 明徳院
墓所 東京都府中市多磨町多磨霊園
官位 従五位下日向守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治家斉
越後糸魚川藩
氏族 越前松平家支流糸魚川松平家
父母 父:松平堅房
兄弟 諏訪頼古井上直孝佐久間信崇
直紹半井成英室、松平近周室、
滝川元郷室ら8男9女
正室:本多助盈娘・八重
継室:板倉勝矩娘・琴
直益松平近豊室、井上正直正室、
花房正興正室、千寿院、有馬純通正室、
岡部盛勝正室、田村顕彰室、阿部正棋
テンプレートを表示

生涯編集

3代藩主・松平堅房の七男として誕生。安永2年(1773年)、父の死去により跡を継ぐ。安永5年(1776年)11月15日に10代将軍・徳川家治に拝謁し、安永6年(1777年)12月に叙任する。その後は日光祭礼奉行、田安御門番、半蔵門番、大坂加番などを歴任した。しかしそのために出費も激しく、藩財政の悪化を招いた。

文化3年(1806年)11月28日、長男・直益に家督を譲って隠居し、文化11年(1814年)8月26日に死去した。享年56。

系譜編集