佐平(さへい)は、百済の最高位の官職である。

さへい
各種表記
ハングル 좌평
漢字 佐平
発音 チュヮピョン
日本語読み: さへい
ローマ字 Jwapyeong
マッキューン=
ライシャワー式
Chwap'yŏng
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概要 編集

百済の第8代の古尓王の27年(260年)に、改革以後、一品官の六佐平(各種事務の担当長官)とそれに続く15階の官、あわせて16階からなる官制が整備されたと伝わるが[1]、確実性はなく、その後、近肖古王の時、おおよそ完成されたようにも思われるが、確実に佐平制の雛形が整ったのは6世紀頃と考えられている[2]。今日の長官に該当する官職でありながら、ただ内臣佐平が、これらの中で佐平の長に該当したが、この後、第18代の腆支王の4年(407年)には六佐平の上に上佐平の官位を置いている。上佐平は軍事統帥権と国内行政権を総括するもので、上佐平が「宰相」つまり首相の席に相当した[3]

  • 上佐平(じょうさへい)- 佐平の首長、首相[3]
  1. 内臣佐平(ないしんさへい) - 王命の宣納(拝命・復命)を管掌[1]
  2. 内頭佐平(ないとうさへい) - 倉庫(財政)業務を管掌[1]
  3. 内法佐平(ないほうさへい) - 儀礼に関する仕事を管掌[1]
  4. 衛士佐平(えいしさへい) - 宿衛軍士(王の禁軍、近衛兵)を管掌[1]
  5. 朝廷佐平(ちょうていさへい) - 刑罰と監獄(司法)の事務の管掌[1]
  6. 兵官佐平(へいかんさへい) - 地方軍事(対外軍事)業務の管掌[1]

これは中国の六典組織を模倣したもので、後世の六曹と似ていた。

なお、『日本書紀』には、上述の上佐平[4]だけでなく、大佐平[5]中佐平[4]下佐平[4]も見え、上・中・下の佐平を総称して「三佐平」といった[4]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g 金富軾撰 1983, pp. 306–307.
  2. ^ 金富軾撰 1983, p. 319 井上訳注より。
  3. ^ a b 金富軾撰 1983, p. 329.
  4. ^ a b c d 『日本書紀』巻19欽明天皇紀。
  5. ^ 『日本書紀』巻24皇極天皇紀, 巻26斉明天皇紀, 巻29天武天皇紀。

関連項目 編集

参考文献 編集

  • 金富軾撰 著、井上秀雄 訳『三国史記2』平凡社〈東洋文庫425〉、1983年9月。ISBN 4-582-80425-X 

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