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三条西 信子(さんじょうにし のぶこ、1904年明治37年)3月 - 1945年昭和20年)11月8日)は、日本の元皇族華族帝室博物館鑑査官などを務めた華族・三条西公正伯爵夫人。上皇明仁皇叔母[1]。旧名は信子女王

三条西 信子
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続柄 久邇宮邦彦王第三王女
身位 女王臣籍降嫁
敬称 殿下 → 臣籍降嫁
出生 1904年3月
日本の旗 日本東京府東京市麻布区
(現:東京都港区六本木)久邇宮邸
死去 (1945-11-08) 1945年11月8日(41歳没)
日本の旗 日本・東京都
配偶者 三条西公正
子女 実兼
淑子
咊子
実栄
祥子
澄子
父親 久邇宮邦彦王
母親 邦彦王妃俔子
役職 大日本連合婦人会会長
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略歴 編集

1904年3月、久邇宮邦彦王同妃俔子の間に次女として生まれた。香淳皇后は姉、大谷智子は妹である[2]。1929年12月9日に皇籍を離脱、伯爵の三条西公正(1901年‐1984年)と結婚した。大日本連合婦人会の会長を務めた[2]。1945年11月8日に病死した(享年42)。    

子女編集

長男:三条西実謙

長女:淑子(四条隆貞男爵夫人)

次女:咊子(木下利福子爵夫人)

次男:久邇実栄(久邇邦久養子)邦久は実栄の叔父にあたる。

三女:洋子 (北島貴孝男爵長男北島英孝夫人)

四女:澄子

出典編集

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  1. ^ 小田部雄次『皇族』中央公論新社〈中公新書〉、2011年。ISBN 978-4-12-102011-6
  2. ^ a b 美術人名辞典『三条西信子』 - コトバンク