光山郡(クァンサンぐん、광산군)は全羅南道にあった郡で、現在は光州広域市の一部となる。

1935年前の名称は光州郡(광주군)であり、光州郡光州邑が光州府に昇格した時に光山郡に改称された。[1]

沿革編集

光州郡編集

  • 三国時代には武珍州と呼ばれ、南北国時代には武州と改名した。
  • 1895年6月23日(陰暦閏5月1日) - 羅州府光州郡に再編。[16](41面)
  • 1896年8月4日 - 全羅南道光州郡に再編。[17]
  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、光州郡の一部(葛田面・大峙面)が潭陽郡に編入、咸平郡の一部(烏山面)が光州郡に編入。光州郡に以下の面が成立。[18](15面)
    • 光州面・池漢面・石谷面・牛峙面・本村面・飛鴉面・河南面・林谷面・松汀面・東谷面・西倉面・大村面・極楽面・瑞坊面・孝泉面
  • 1931年4月1日(1邑13面)[19]
    • 光州面が光州邑に昇格。
    • 牛峙面・本村面が合併し、芝山面を設置。
  • 1935年
    • 4月1日(1邑12面)[20]
      • 瑞坊面・池漢面・孝泉面・極楽面のそれぞれ一部が光州邑に編入。
      • 廃止された孝泉面の残部・池漢面の残部は孝池面として再編。
    • 10月1日(12面)[1]
      • 光州邑が光州府に昇格、郡より離脱。
      • 光州郡が光山郡に改称。

改称後編集

  • 1937年7月1日 - 松汀面が松汀邑に昇格。(1邑11面)
  • 1949年8月14日 - 羅州郡平洞面・三道面・本良面を編入。(1邑14面)
  • 1955年7月1日(1邑10面)[21]
    • 瑞坊面・極楽面・孝池面および石谷面の一部(花岩里・清風里・望月里・長灯里・雲亭里)が光州市に編入。
    • 石谷面の残部(金谷里・忠孝里・徳義里)が潭陽郡南面に編入。
  • 1957年11月6日(1邑7面)[22]
    • 大村面・芝山面および西倉面の一部が光州市に編入。
    • 西倉面の残部が東谷面に編入。
  • 1963年1月1日 - 光州市から一部を返還。(1邑9面)[23]
    • 瑞湖洞・芳荷洞・新湖洞をもって西倉面を復活。
    • 松石洞・登龍洞・鶴昇洞をもって大村面を復活。
  • 1986年11月1日 - 松汀邑が市制施行し、松汀市となり、郡より離脱。[24](9面)
  • 1988年1月1日 - 飛鴉面・河南面・林谷面・東谷面・西倉面・大村面・平洞面・三道面・本良面が松汀市とともに光州市と合併し、光州直轄市光山区が発足。光山郡消滅。

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ a b 朝鮮総督府令第112号・道の位置、管轄区域及び府郡の名称、位置、管轄区域の規定(1935年9月28日)
  2. ^ (신구대조) 조선 전도부군면리동 명칭 일람 (1917年)
  3. ^ 光州面は城内面・公須坊面・不動坊面・奇礼坊面の合併
  4. ^ 瑞坊面は瑞陽面・斗坊面・梧峙面の合併
  5. ^ 石谷面は石底面・上大谷面・下大谷面の合併
  6. ^ 本村面は甲馬保面・石堤面・三所旨面の合併
  7. ^ 極楽面は徳山面・内丁面・黄渓面・軍盆面の合併
  8. ^ 西倉面は船道面・当夫面・方下洞面の合併
  9. ^ 松汀面は牛山面・古内廂面・所旨面の合併
  10. ^ 飛鴉面は泉谷面・馬池面の合併
  11. ^ 河南面は巨峙面・黒石面・瓦谷面の合併
  12. ^ 林谷面は召古龍面、咸平郡烏山面の合併
  13. ^ 東谷面は東角面・馬谷面の合併
  14. ^ 孝泉面は孝友洞面・陶泉面の合併
  15. ^ 大村面は大支面・桂村面・漆石面・柳等谷面の合併
  16. ^ 勅令第98号・地方制度改正件(1895年陰暦5月26日)
  17. ^ 勅令第36号・地方制度と官制改正に関する案件(1896年8月4日)
  18. ^ 朝鮮総督府令第111号・道の位置、管轄区域及び府郡の名称、位置、管轄区域の規定(1913年12月29日
  19. ^ 朝鮮総督府令第103号・邑、面及び邑、面長に関する規定(1931年2月29日)
  20. ^ 道令第6号(1935年3月25日)
  21. ^ 법률 제361호 시·군의관할구역변경에관한법률(1955年6月29日)
  22. ^ 법률 제454호 시·군행정구역변경에관한법률(1957年11月6日
  23. ^ 법률 제1175호 시·군관할구역변경및면의폐치에관한법률(1962年11月21日
  24. ^ 법률 제3808호 광주직할시및송정시설치에관한법률(1986年5月8日