児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件
児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件(こだまよしおていセスナきとっこうじけん、児玉誉士夫邸セスナ機自爆事件とも)は、1976年(昭和51年)3月23日、児玉誉士夫の私邸に小型航空機が突入した自爆テロ事件(乗物による突入攻撃)である。
事件の概要 編集
画像外部リンク | |
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カメラマンの阿施光南によるJA3551の画像 | |
事故の数日前に整備関係者によって撮影されたJA3551の画像 |
3月23日午前9時50分頃、児玉誉士夫(当時65歳)の私邸(東京都世田谷区等々力)に、前野霜一郎(当時29歳)が操縦するPA-28-140型機(機体記号:JA3551)が突入し爆発炎上、前野は死亡した。突入による火災で児玉邸の2階一部が類焼し、家政婦が負傷したが、別室で就寝中の児玉は無事であった。
JA3551機はセスナ172M型機(機体記号:JA3732)とともに調布飛行場から午前8時50分に離陸していた。JA3732機には機長とカメラマンら3人が搭乗しており、両機は直前まで編隊飛行をしつつ新宿上空でJA3551機の写真撮影を行っていた。その撮影を終えた帰途に突入したものである。
児玉が経営する企業の役員を務めていた日吉修二は、「私が行ったときはまだ飛行機が庭先に突っ込んでいて、操縦士というか何とかさん特攻隊の真似をして、そのままうつ伏すように死んでる奴を見た」と話した。
犯人と動機 編集
攻撃した前野霜一郎は、当時日活ロマンポルノに出演していた俳優であった。
攻撃された児玉誉士夫は、「大物右翼でフィクサー」と呼ばれていた。またロッキード事件の首謀者の一人と目されており、脱税などにより3月13日に起訴されていた。
- 動機
前野は児玉に敵対する左翼思想ではなく、三島由紀夫にも心酔する右翼思想の持ち主であった。そのため、右翼の運動家であった児玉を尊敬していた。
ところが、ロッキード事件に絡んで児玉が起訴され、マスコミなどの調査・取材によって児玉の様々な罪状が明らかにされた。前野は、児玉が思い描いていたような民族主義的な思想家ではなく、利己主義的な「利権屋」であると信じ「児玉に騙され裏切られた」と怒り「天誅を下すべきだ」との結論に至った。前野は事件前に犯行計画を知人に話していたという。
前野は離陸前に「映画のため」と称し、神風特攻隊の特攻服と「七生報国」と書かれた日の丸の鉢巻を身に付けて記念撮影を行っている。また、特攻直前の最後の無線通信では「天皇陛下万歳!」と叫んでいた。
事件後 編集
また、アメリカのメディアは、この自爆テロ行為に対して「最後のカミカゼ[リンク切れ]」などと報道した。
- 家屋の修理
事件後、児玉に保険会社から3000万円-4000万円ほどの保険金がおりた。当時、児玉の住宅は脱税で差押さえを受けている状態であり、保険金も差押さえの対象となるものであったが、東京国税局は家屋が劣化することを避けるために「保険金は修理のためだけに使う」との条件を付けて差し押さえを見送った。もっとも、家屋の修理費は総額6000万円前後と見積もられており、修理代金の全てを賄うことはできなかったと考えられている[1]。
脚注 編集
- ^ 児玉に支払われた保険金 家の修理につかわす『朝日新聞』1976年(昭和51年)4月29日朝刊、13版、23面
参考文献 編集
- 昭和・平成 日本テロ事件史. 別冊宝島. 宝島社. pp. 79頁. ISBN 9784796642507
- 大洋航空株式会社所属パイパー式PA-28-140型JA3551に関する航空事故報告書 - 航空事故調査委員会
- ご存知ですか? 3月23日は「児玉誉士夫邸にセスナ機墜落事故」の日です - 文春オンライン