共同保育所(きょうどうほいくしょ)、ないし、共同保育園(きょうどうほいくえん)は、日本において、乳幼児保育にあたる保護者などが共同して運営にあたる保育施設[1]。法令上の用語ではなく、本来は一般家庭の一部を使用するような認可外保育施設のひとつの形態を指す表現であったが、そうした施設から発展してきた経緯のある認可保育所の中には、名称の一部に「共同保育所」や「共同保育園」を含む例もある。

運営にあたる組織の形態には、任意団体や、社会福祉法人のほか、特定非営利活動法人などがある。共同保育所では、保育者と保護者が定期的に協議をする中で運営に関する事柄が決められていくことが多いため、他の保育施設に比べて保護者の関与の度合いが大きい[2]

本来の意味の共同保育所は、他の保育施設よりも比較的小規模であり、また、異年齢の子どもたちを一緒に遊ばせることが多い[2]

初期の共同保育所

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第二次世界大戦後、公立の保育所が普及していなかった時期から、共働き核家族世帯の子どもたちを共同保育する取り組みが、大都市部で散見されるようになった[3]

1953年には、東京大学に職場保育所 「ゆりかご保育園」が設けられたが、これには共同保育所としての側面があった[4]

1954年に結成された「働く母の会」は、各地で保育所の拡充を求める運動を起こすとともに共同保育所の運営にも取り組んだ[4][5]

こうした共同保育所では、公的補助がほとんどない状況の中で運営費を捻出するために、廃品回収活動などに取り組むなど、保護者の運営への関与が非常に大きかった[6]

おおむね1950年代から1960年代はじめにかけて設けられた共同保育所は、こうした施設の初期の事例として言及されることがある。

1962年愛知県初の事例として名古屋市に開設された「池内共同保育所」は、市営住宅に居住していた夫妻が、自宅の一室を提供して発足し、公立保育所建設運動にも取り組んだ[6]

同じく1962年に開設された東京都文京区の共同保育所「あゆみ保育園」も、「無認可共同保育所の草分け的存在」とされている[7]

一般の子どもたちを対象とする共同保育所とともに、もっぱら障害をもった子どもを対象とする保育施設の設置や[8]、障碍児を普通児とともに保育する試みも、共同保育所という形態の中で取り組まれた[9]

1970年代以降の共同保育運動

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1970年代から1980年代には、保育所拡充の運動が全国に広まった[2]。また、1975年に設立された「あんふあんて」のように、それまでの局地的な取り組みよりも、格段と広いネットワークを構築していった例もあった[10]

また、ベトナムに平和を!市民連合の活動家であった小沢遼子が関わった埼玉県浦和市(当時)の「育児を考える市民会議」による「こどもシタダル」のように、従前からの共同保育所の位置づけから踏み出して、「夫と妻と子が自立したそれぞれの生活を実現するための場」を標榜する取り組みも現れた[11]

共同保育運動などを反映して、多くの共同保育所が、何らかの公的補助を受けるようになったり、拡充されて認可保育所に移行した。

子ども・子育て支援新制度

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2012年子ども・子育て支援法が成立して以降、いわゆる「子ども・子育て支援新制度」が整備される中で[12]、従来、認可外の共同保育所として運営されてきた施設の一部は、新制度に沿った運営体制の見直しをしなければ、補助が受けられなくなるという事態に立ち至っている[13]

脚注

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  1. ^ 大辞林 第三版『共同保育』 - コトバンク
  2. ^ a b c 吉森福子 (2004年5月20日). “認可園だけが「いい」保育園?(2ページ目)”. オールアバウト. 2016年8月28日閲覧。
  3. ^ “共かせぎ物語(2)ある共同保育の巻”. 朝日新聞・東京夕刊: p. 2. (1956年6月21日). "ともかくやっと子どもを生んでも、ほいくじょの門は共かせぎの子にはあまりにも狭い。施設の数が足りないから、どうしても母子家庭の子などが優先され勝ちだ。国や職場でつくってくれるのは待ちきれないと、働く母たちがあちこちで保育所を建てる運動を始めたのは、無理もない。が、ここで紹介するのはもっとささやかな、ひとつの解決法である -"  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  4. ^ a b 北原和子「名古屋市における乳児保育・長時間保育の運動」『名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究』第17号、名古屋市立大学大学院人間文化研究科、2012年、124頁。  NAID 40019387182
  5. ^ “(あのとき・それから)明治23年 保育園誕生 豊かな育ち、どんな子にも”. 朝日新聞・夕刊be土曜1面: p. 4. (2014年4月12日). "保育園は厚生労働省所管の児童福祉法で戦後「保育所」として制度化。1954年結成の「働く母の会」が各地に共同保育所をつくったほか、60年代は「ポストの数ほど保育所を」のかけ声で設置が増加した。"  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  6. ^ a b 石月静恵「保育問題研究会の成立と活動 : 名古屋を中心に」『桜花学園大学人文学部研究紀要』第14号、2012年2月29日、3頁。  NAID 110009323445
  7. ^ “地域に根づいて20年 無認可共同保育所の草分け 東京「あゆみ」”. 朝日新聞・東京朝刊: p. 13. (1982年5月20日). "無認可共同保育所の草分け的存在である「あゆみ」の歴史と今は、他の多くの共同保育所に共通する問題を提起している。"  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  8. ^ “私の家を精薄児の共同保育所に 立上った若い主婦”. 朝日新聞・東京朝刊: p. 10. (1958年4月22日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  9. ^ “亀山利子編著「カツオ・お母さん・共同保育」 本だな”. 朝日新聞・東京朝刊: p. 15. (1973年4月16日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  10. ^ “動き出した「あんふあんて」 何かをするための共同保育”. 朝日新聞・東京朝刊: p. 15. (1975年10月28日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  11. ^ “家族の自立めざし共同保育 浦和市の「育児を考える市民会議」”. 朝日新聞・東京朝刊: p. 17. (1971年11月13日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  12. ^ 子ども・子育て支援新制度”. 内閣府. 2016年8月28日閲覧。
  13. ^ “小規模保育、期待と課題 子ども・子育て支援新制度、仙台は”. 朝日新聞・朝刊・宮城全県: p. 21. (2015年4月4日). "新制度のスタートに伴い、市が認可外保育所に補助金を出す制度「せんだい保育室」は18年3月で廃止される。市内に47ある保育室は、新制度か補助のない無認可への移行、または廃止の選択を迫られている。0~6歳までの子どもが通う若林区の「空飛ぶくぢら共同保育所」もその一つだ。 ... 同保育所は72年、働く親の代わりに近所のお母さんが子を預かる助け合いの習慣から生まれ、保護者が主体となって運営してきた。05年から市の補助金を受けている。"  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧

関連項目

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