内藤 良平(ないとう りょうへい、1916年大正5年〉3月17日[1][2] - 1996年平成8年〉12月21日[1][2])は、昭和期の労働運動家、政治家衆議院議員

経歴

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秋田県[3]秋田市で生まれる[1][2]。1933年(昭和8年)秋田市商業学校(現秋田市立秋田商業高等学校)を卒業した[1][3]

1935年(昭和10年)鉄道省(のちの日本国有鉄道)に入省[1]。仙台鉄道局秋田運輸事務所、新潟鉄道局秋田管理部総務課などに勤務。国鉄労働組合中央委員、同秋田支部書記長、秋田県労働組合会議議長、同事務局長、護憲連合秋田県代表委員などを務めた[1][3]秋田市議会議員に選出され2期在任し[1][3]、同総務財政委員長、秋田県地方労働委員も務めた[3]

1949年(昭和24年)日本社会党に入党[1]。1958年(昭和33年)6月の第3回参議院議員通常選挙秋田県地方区補欠選挙に出馬して落選し、さらに第5回第7回通常選挙でも落選した[4]。1967年(昭和42年)1月の第31回衆議院議員総選挙秋田県第1区から出馬して初当選[3][5]。次の第32回総選挙でも当選し[5]、衆議院議員に連続2期在任した[1][2][3]。この間、裁判官弾劾裁判所裁判官予備委員、衆議院運輸常任委員、同災害対策特別委員、社会党秋田県本部財務委員長、同副委員長、同党交通政策委員会事務局長、同地方交通対策特別委員会事務局長、同県本部顧問などを務めた[1][3]。秋田県の労農運動、出稼ぎ問題への対応に尽力した[1]。その後、第33回総選挙に立候補したが落選した[5]

のちに運輸審議会委員を務めた[3]。また秋田市で誕生したプロレタリア雑誌『種蒔く人』の顕彰会会長となった[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『秋田人名大事典(第二版)』416頁。
  2. ^ a b c d 『現代物故者事典 1994~1996』396頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』437頁。
  4. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』418頁。
  5. ^ a b c 『国政選挙総覧 1947-2016』38頁。

参考文献

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  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『秋田人名大事典(第二版)』秋田魁新報社、2000年。
  • 『現代物故者事典 1994~1996』日外アソシエーツ株式会社、1997年
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。