冨持神社

日本の京都府京丹後市にある神社
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冨持神社(ふじじんじゃ)は、京都府京丹後市大宮町上常吉入船山に所在する神社富持神社とも記載され、読みも(とみもちじんじゃ)とも記載される。旧村社であり、上常吉地区東方部の氏神である[1]細川藤孝、常吉城主山城守が厚く守護した[2]

冨持神社
Tomimochijinja (2).jpg
所在地 京都府京丹後市大宮町上常吉小字入船山
主祭神 天叢雲命
椎根津彦命
社格 旧村社
創建 不明
例祭 10月10日
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名称編集

古くは加茂大明神を祀り、「加茂神社」と称したが、明治14年11月29日に「冨持神社」(ふじじんじゃ)へ改称した記述が『中郡神社明細帳』にある[2]。この際、境内社の「蛭子神社」を「加茂神社」と改称、「ふじ(木偏に元)岡神社」を「咋岡神社」(くいおかじんじゃ)とも改称した[2][3]

境内編集

1940年(昭和15年)に皇紀2600年を記念して本殿を新築、1951年(昭和26年)に本殿上屋と拝殿を新築した[2]。2社の境内社、加茂神社咋岡神社を、1940年(昭和15年)の本殿新築の際に移築し、本殿上屋の中に祀る[3]。「富持神社」の額のかかる鳥居1基、灯籠3対、狛犬1対、「二十三夜」「山神」の石塔があり、いずれも明治時代に村民の寄進を受けて献立された[2]

社寺林にはシイの群落がある[4]

境外社に、鎮火を祈念し、火産霊命を祭神とする秋葉神社(上常吉小字大河内所在)がある[3]。秋葉神社には、明治17年7月26日にもとは小字本地にあった稲荷神社を移転している[3]

境内社編集

  • 加茂神社(かもじんじゃ) 
    由緒不明である。もとは蛭子神社と称されたが、明治14年11月29日に加茂神社と改称した。祭神は別雷命[3]
  • 咋岡神社(くいおかじんじゃ)
    由緒不明である。もとはフジ岡(木偏に元)神社と称されたが、明治14年11月29日に咋岡神社と改称した。祭神は大宜都姫命であるが、この神は豊受大神と同体とみられる。[3]

祭神編集

天叢雲命は高天原より神水を持って地上に降りた神で、中臣氏の祖神。

しかし冨持神社では、「天叢雲」は文字通り「高い山に立ちこめる雲」の意で用いられ、神霊の宿る山として、対面する磯砂山を崇めたものと考えられている[2]。『中郡神社明細帳』によれば、磯砂山の真名井であるとされる[2]

また、『中郡神社明細帳』は、冨持神社は五穀を培養し御饌を奉仕するとも記録しており、本来の祭神は丹後地方で広く信仰される食物・穀物を司る女神である豊受大神であると推定される[2]。冨持神社と同じ音を持つ近在の峰山町鱒留藤社神社(ふじこそじんじゃ)、但馬地方出石比遅神社(ひじじんじゃ)も同じく豊受大神を祭神とする[2]

祭祀編集

例祭は、かつては加茂大明神として9月18日に祭礼を執り行ったが、20世紀においては10月10日を祭日とし、神輿と太刀振りを奉納する[2]。神職は20世紀後半時点で峰山町丹波小字涌田山の多久神社神職が兼務する[2]

宵祭(本祭前日)に神輿氏神を迎え入れて御倉に納めておき、本祭の午後から祭礼を執り行う[5]。町内巡行は傘鉾を先頭に、太刀の道振り、神輿が続く。神輿は半被に白足袋姿の20余名で担く[5]太刀振りは肌着にたっつけ袴、白足袋、、鉢巻き姿で、小学3年生くらいから中学生以下の年少組が道振りを担い、社前で奉納する宮振りは高校生以上成人の年長組が担う[5]。宮振りには「一の太刀」「二の太刀」「三の太刀」の3通りがあり、数字が増えるほど難易度が上がるため、順次古参の熟練者が演じる[5]

1927年(昭和2年)の丹後大震災以前には「しゃんぎり」と称する囃子も行われ、陣太鼓、締太鼓、鉦、三味線、横笛で賑やかす華やかな行事であったと伝えられるが、久しく途絶えている[5]

所在地編集

参考文献編集

  • 大宮町誌編纂委員会『大宮町誌』大宮町役場、1982年

外部リンク編集

  •   ウィキメディア・コモンズには、冨持神社に関するカテゴリがあります。

脚注編集

  1. ^ 大宮町誌編纂委員会『大宮町誌』大宮町役場、1982年、845頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 大宮町誌編纂委員会『大宮町誌』大宮町役場、1982年、846頁。
  3. ^ a b c d e f 大宮町誌編纂委員会『大宮町誌』大宮町役場、1982年、847頁。
  4. ^ シイ群落 京都府
  5. ^ a b c d e 大宮町誌編纂委員会『大宮町誌』大宮町役場、1982年、615-616頁。
  6. ^ 大宮町誌編纂委員会『大宮町誌』大宮町役場、1982年、845頁。