劉子元
中国の南北朝時代・宋の皇族
劉子元(りゅう しげん、大明2年(458年)- 泰始2年8月24日(466年9月19日))は、南朝宋の皇族。邵陵王。孝武帝劉駿の十三男。字は孝善。
経歴
編集劉駿と史昭儀のあいだの子として生まれた。大明6年(462年)3月、邵陵王に封じられた。大明8年(464年)、度支校尉・秦南沛二郡太守となった。冠軍将軍・南琅邪泰山二郡太守に転じた。景和元年(465年)8月、湘州刺史に任じられた。赴任する途中、晋安王劉子勛が反乱を起こしたため、子元は尋陽に留まって劉子勛に加担することとなった。撫軍将軍の号を受けた。泰始2年(466年)8月、劉子勛が敗れると、子元も捕らえられて、殺害された。
伝記資料
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