劉子嗣(りゅう しし、463年 - 466年)は、南朝宋の皇族。東平王。孝武帝劉駿の二十七男。字は孝叔。
463年(大明7年)、劉駿と謝昭容のあいだの子として生まれた。9月、東平王に封じられ、東平沖王劉休倩の後を嗣いだ。劉休倩の母の顔美人に冷たく当たられたため、466年(泰始2年)に生母の謝昭容が子嗣を本属にもどすよう上表して、明帝の許しをえた。この年のうちに死を賜った。