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加古川 辰藏(かこがわ たつぞう、1884年明治17年)2月3日 - 1945年昭和20年)8月23日)は兵庫県印南郡見土呂村(現・加古川市上荘町見土呂)出身の大相撲力士。本名は大西福松。大阪相撲で活躍し最高位は大関。所属は小野川部屋

略歴編集

辰丸の名で1903年(明治36年)5月序二段に出たのが初見。三段目で加古川と改名。1908年(明治41年)6月十両、1909年(明治42年)5月入幕。176cm90kgのソップ型ながら「踵に目がある」と言われたほど土俵際に強く、左からの投げと内掛けを得意とした。東京相撲との合併興行では太刀山西ノ海を破ったこともある。

1912年(明治45年)5月小結、一度平幕に下がるが1915年大正4年)1月関脇、この場所5勝3敗1分ながら翌1916年(大正5年)1月大関に登った。しかし病気で休場がちとなり2場所で陥落した。1917年(大正6年)1月関脇で6日目から出場し7日目に師名の八陣 秀五郎を名乗るが、6月場所の番付発表後に加古川 辰藏に戻した。

1920年1月限りで引退し加古川の名で一代頭取となり、師匠12代小野川(元横綱八陣調五郎)の廃業に伴い1921年(大正10年)6月から13代小野川となった。大阪大相撲協会の幹部として東西合併に尽力し、合併後も門弟育成、協会興隆に尽くした。1942年(昭和17年)1月限り廃業。1945年(昭和20年)8月23日61歳で死去。

幕内20場所 62勝58敗11分4預57休(大阪)

参考文献編集