加藤 孝(かとう たかし、1930年3月[要出典] - )は労働官僚。

人物 編集

1954年東京大学法学部卒業後に労働省に入省[1]1972年職業安定局職業安定業務指導課長、1974年新潟県商工労働部長、1977年に大臣官房会計課長、1982年に大臣官房長、1983年に職業安定局長、1986年に労働事務次官[1]

40年ぶりに労働基準法改正案が国会で成立した後の1989年9月に労働事務次官を退任[1][2]。その後は日本障害者雇用促進協会と全国民営職業紹介事業協会の会長を務めた[1]

リクルート事件に絡んで、職業安定局長時代に職業安定法の改正において求人広告の規制について法規制ではなく自主規制とすることでリクルート社へ便宜を図ったとして1989年3月8日収賄罪容疑で逮捕された[1]

1992年3月24日東京地裁で懲役2年執行猶予3年追徴金681万円の有罪判決が言い渡され確定した[3]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 「リ事件 加藤元労働次官を逮捕職安法改正で便宜 Xリ社元室長も/東京地検」『読売新聞読売新聞社、1989年3月8日。
  2. ^ 「[省庁人事を探る](上)厚生・労働・建設・国土・総務・総理・文部(連載)」『読売新聞』読売新聞社、1987年5月12日。
  3. ^ 「加藤孝・元労働事務次官が控訴断念 リクルート事件の有罪確定」『読売新聞』読売新聞社、1992年4月7日。